「クリミナルマインド」で怒りが人を変えることを学ぶ

帰りの夜空

この2週間ぐらい、自分の価値を見失っていた。
正直、まだ見失ったままでいる気がする。

私だけかもしれないけれど、「私の存在なんてこの世界に必要ないのだ」という気持ちになると、こんな行動をとる。

Facebookにいるのが辛くなる。書き込んでも「あの人からいいねがない。」とか思い出す。
ついでにFacebookの投稿をみて、「みんなみたいに輝けない」といって落ち込む。
twitterで罪もない動物の画像とかをいっぱい見てしまう。
ネットの広告を見るのもつらくなる。
安心しようとして悪い情報ばかり検索してしまい、つらくなる。
甘いものとかジャンクフードをやたらとる。
自分を励ますような音楽ばかり聞き出す。

で、もっと絶望がが進むと海外ドラマの「クリミナルマインド」を見返し始める。(日本で見られるのはシーズン10までかな)

シーズン1のDVDBOX▼

「クリミナル・マインド」で自分とシリアルキラーの違いを、絶望の中考えていた

「私とシリアルキラーの、この紙一重の差よ・・」
といいだしたら、私が一番どん底に落ちた時だ。

シリアルキラーときくと、なんとなく快楽犯を想像しがちだ。
そういう犯人もたくさんでてくる。
でもそれだけじゃない。

「クリミナルマインド」には大きな社会的ストレスが原因で、人を殺し始めたりする例がたくさんある。
家族を失った時だったり、
仕事を解雇されたり、
家を失ったり。
愛する人に拒絶されたり。

自分がそういう状態に直面したときに、”そちら側”に絶対に行かないという保証はどこにもない。

なんで自分は”そちら側”に行かないんだろう。
紙一重な気がしてならない、その壁を超えるか超えないかを知りたくて、ずっと見てしまう。

なんで私は憎い相手を殺さずに、膝を抱えてテレビドラマを見ているのか。
なんでテレビの向こうのシリアルキラーは、人を殺すようになってしまうんだろう
昔はもっとそっちに近い側にいた気がするから、余計に見ていたのだと思う。

怒りが人を変える、時にシリアルキラーにさえも変えてしまう。

シリアルキラーに人を変えてしまうような社会的ストレス。
それは当人にとって理不尽なことで起きる。

例えば、
突然の交通事故で子供を奪われた
今までがんばっていた仕事を会社の都合で、突然解雇されて、家もお金も失った
結婚を考えていた彼女が、ある日突然別れを告げて別の男と去っていった

なんで、なんで?と何度も何度も考えるけれど、答えは全く見つからない。

交通事故で、なんで自分の子供が奪われるのだろう?
他の子ではなくなぜ?
そもそもなんで私ではなく、子供なんだろう。
なんで、なんで、なんで。

なんで、なんで、が
許せない、許せない、許せない、に変わっていく。

そうなると、もう、止められなくなる。

例えば・・こんなシリアルキラーがいるとしよう
(以下に出てくる話は、クリミナルマインドの正規のストーリではない。)

赤い車が自分の子供を奪った、赤い車に乗っているドライバーが憎い
街の中に怒りをぶつける相手を見つけに、出かけていく。
そして殺す。
殺しても「なんで?」は消えないから、また殺しに行く

そういうシリアルキラーの話をみると、本当につらくなる。

怒りが心の中で膨れ上がって、膨れ上がって、その人自身を変えてしまうのだ

怒りと向き合える訓練を日頃からしておこう

怒りはためこんでも消えないし、
怒りを怒りのまま、吐き出しても、ぶつけても消えない。

怒りは2次感情だから。
喜怒哀楽、なんて表現をするから、感情の根源な気がするけれど違う。
怒りの後ろにあるのは「悲しい」とか「怖い」とか「寂しい」の3つが真の感情。

子供を失った怒りの根本は「愛する子供を失って悲しい」なんじゃないか。
失ってしまった喪失感に向き合えない。
悲しい、あの子はもういないのだ、そのことがとても悲しいし、寂しい。

そう受け入れることが、もしもできたのなら、きっと人を殺さなかっただろう。

でもいざ、超ド級のストレスがぶちあたってきたら。
その時に「私の真の感情は何だろう?」なんて冷静に考えていられるだろうか?
無理だと思う。

危ない!と言われた瞬間に身がすくんで動けなくなるのと同じだ。
きっと思考は硬直してしまうだろう。

だから、日頃から「イラッ」ぐらいの時に真の感情はどれか、考える癖をつけるといいと思う。
私は1ヶ月ほどその訓練をコーチと一緒にした。

「イラッ」としたら「悲しい」「怖い」「寂しい」の3つのどれにあたるのか、点数でいうなら何点?とか。
そして見つけた感情を自分に言い聞かせてあげて、味わう。
「悲しいね、悲しくていいからね。」
と声をかける。

これだけで本当に変わる。
とりあえず怒りはひっこむ。

Everyday怒り!怒りこそ原動力!と息巻いていた私はいなくなった。
怒りが0になることはないけれど、怒りが渦巻く時間はだいぶ少なくなった。

だから私は、今日もまだ、クリミナルマインドを見返していない。

文中で紹介した「クリミナルマインド」について

これはシーズン1のDVDだけれど、10までくると半分ぐらいメンバー変わってしまうけれど、どのメンバーの時も私は好き。

シリアルキラーがでてくる以上、時々目をそむけたくなるような残虐なシーンもあるので、そういうのが苦手な人はやめておいてください。

Amazonプライムでも配信されてます。

THIS IS ME 私には生きていく価値、愛される価値がある

毎晩、いろんな動画を見る。
不安で不安でたまらない最近の夜は、自分を奮い立たせる音楽を選んでいる。

不思議なことにミュージカル映画の音楽が多い。
私は個人的には得意なジャンルではないので、映画自体をみることはない。
でも、引き寄せられるようにもう何週間もいろいろ見ている

 

THIS IS MEは歌詞を知って、泣いた

THIS IS MEはフィギュアスケートのエキシビションで見たのが最初の出会いだった。
エキシビションの最後なのに、なんでこんなに悲しそうな音楽なんだろうか?とその時は不思議に思っていた。
そもそも、これが「グレイテスト・ショーマン」の曲なのだということも知らなかった。

映画音楽をいろいろ見ていたら、youtubeさんがおススメしてくれた中に、THIS IS MEがでてきた。
まだ映画になってないころの、ドキュメンタリーのようなものだった。
それには日本語の歌詞がついていて、目が釘付けになった。

この歌は劇中のサーカスの人たち(容姿や身体的な特徴で差別されている人たち)が歌う。
憎まれたり、怖がられたり、愛すものかと拒絶されたりする人たちが歌う歌だ。
私はストーリーのどんな流れで歌われるようになるのか知らないから、解釈が間違っているかもしれない。

でも、この歌詞は私を励ましてくれた。
「私は勇敢だ、傷ついてもいる、でもこれが私なのだ」
というサビ。

特に2番はすごく好きだ。
心に弾丸を打ち込まれたけど、うち返してやる!!と始まる歌詞。
そして歌われる。
「私たちは戦士、戦うためにに生まれ変わった」

映画のシーンなんだと思うけれど、この動画で2番になった時、涙が止まらなくなった。
シーンと歌詞が重なるからかもしれない。

私には生きていく価値、愛される価値がある

ちょうどこの歌を聞いたとき、私は自分の価値が根底から揺るがされているように感じていた。
親のいう「筋を通せ」が私の中では全然わからなくて。
でも未来のためにそうしたほうがいいのだろう、と自分を説き伏せた。
仕事を辞めることも、親に「考えがない」「老後、苦しんで困るのはお前だ。」「社会は厳しいのだ」ということを繰り返し言われた。

そういう自分の価値を全部揺さぶられて、そして自分の歩く道を親にまた譲ったという気がしていた。
敗北した、という気持ちはあれから1週間たっているけれど、私の心の中で未だに血を流している。
「勝ち負けじゃない」「むしろ未来を勝ち取った」とたくさんの方にいわれた。

でもあれから自分の価値とか、自信とかが、どこかにいってしまった。

そんな状態のまま一人で住むことになった部屋の審査に挑んだけれど、うまくすすまない。
会社の規模、実態がちっともつかめない会社のサイト、もしかして在籍確認で何か不利になることをいわれているのだろうか?
いやそもそも・・・もうこの会社に入った時点で・・・私は部屋の審査にすら通らないぐらい社会的に不利なんだろうか。

何年も前に味わった、相棒の「ボーダーライン」というドラマを見た恐怖を思い出した。
社会に殺されたという風に装って死んでいった一人の若者の話。
真面目に努力しても、どんどん悪いほうに転がって行って、そして悪いことに自分が染まり、誰も助けてくれず死ぬ話。
あの時、無職で心もボロボロで、何もなかった私には、自分にしか見えなかった。
そしてその絶望の淵が足元まで迫っている感じがした。

前とは違うことはたくさんある。
友達も昔よりもたくさんいるし、あの時はつきあったばかりでどう頼っていいかわからなかった、相方はいつも助けてくれる。
というよりも、世界でもし一番私に無条件に愛をそそいでくれるのは、相方だと思う。
私を縛ることなく、私と一緒に人生を歩んでくれるのは相方だけだ。

それに・・本当は自分自身で成し遂げたこともある。

心に打ち込まれたたくさんの弾丸を、この歌詞が言うみたいに打ち返せばいい。
私には価値がある。価値がないなんてわけがない。

私は「あいつには生きてる価値がない」なんて誰にも思わない。
「死んだほうが幸せだよね」なんて他人に対して一度も決めつけたことはない。

じゃあなんで、それが”自分”ならいいんだ。
「私には生きている価値がない」なんて自分にはとても残酷だ。

私には価値がある、とこの歌を聞いて前を向く。
翌日またうちのめされる。
そしてまた、この歌をきく。

最近のローテーションになってる。

この歌を思いっきり歌ってみたい。
胸を張って、この歌の通りだったと、歌いたい。

私は生きていく価値、愛される価値がある。

ヒレ肉300gで人生が変わる?! 自分にお金を使ってあげることで幸せな1日を過ごした話

ずっと絶望だった。
今週月曜日から私は絶望していた気がする。

その絶望を今日、お肉が、牛肉が、ステーキが吹き飛ばしてくれた。
ステーキ万歳。

昨日鏡をみたら、自分がみじめだった。

働いて帰ってきて、手を洗いながら鏡を見たら、そこにいる自分がみじめだった。
前回思ったような色に染めてもらえなかった髪の色がどんどん抜けて、オレンジっぽい茶色に。
しかも2ヶ月ぐらい染めてないから、頭頂部は黒くなって、プリン状態。

顔も目の下のクマが濃くなっているし、汗だくで働いて化粧は寄れてるし。

この時にふと、「私はこれから仕事をやめて、お金が無くなってずっとこんな感じなのかなぁ。」と思った。
次は黒く染めてヘアサロン代安くしようかなぁ、トリートメントとかヘッドスパとかすごく好きだけど・・・無理だろうなぁ。

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体に休息を 心にゆとりを

いうまでもなく・・・体がめちゃくちゃ疲れている。
日々の勤務は10時間以上のシフトだし、休憩時間は30分だし。(半年やって慣れているけど、どんどん嫌になっている)
休日は全て部屋探しや、親との話し合いに使われて、体も心も休まっていない。

親との話し合いは神経戦だったし、親の話がとにかくネガティブでそれを数時間聞かされると心にしみこんでしまうのだ。
なんかもう社会は厳しくて、私は価値がない人間で、飢えてくる死んで死ぬんでしょ?みたいな。

そのせいかちょっとしたことに対しての耐性が弱くなっている。
そんなこときくの?とか、ちょっとした言葉に傷ついたり。

でもコーチングのおかげで、人に対して過剰に反応することは減っているので、怒りみたいなものは起きない。
そのせいかストレートに落ち込んでしまう感じ。
見えない未来にワクワクしないで、それこそ親がいっているみたいに飢えて苦しいみたいな。

今日はその不安が爆発した。
でも、コーチに「疲れて弱っているだけ」といわれて、はっとした。

体が疲れて頭もボーっとしている。
正常な判断ができない。
これは不本意ながら父の言う「体が疲れていると強いことを言われると泣きたくなる」にもあてはまる。
普段なら「なんだよ、もー」で済むことが「なんでそんなこというの、なんでなの!!」みたいな。
暗い舞台でスポットライトあびて、一人で泣いてるみたいな孤独感。

前の仕事をしているとき一番弱っているときのことを思い出した。
入院しないとダメだ、っていうぐらいウイルス性肝炎で熱がでたり、だるいのに、休んだら居場所がなくなると言い張っていた。
その時の自分は、自傷して作った傷を触っていないと、職場のPCの前に座っていられなかった。

肝炎でとにかく休むしかないのだから、入院して休みなさい!と1週間入院した。
ひたすら寝て、午後のロードショーを毎日ぼーっとみて、三食食べて、本を好きなだけ読んだ。

その間に怖いけれど職場に向き合うことができ、そこから当時の店長と話して勤務時間を深夜になるように調整してもらう行動をおこした。
精神的に安定するのはもうちょっと先で、相方には深夜に号泣して別れてくれと電話したりして、本当に迷惑をかけたけれど。

「なんか最近嫌なことばかり起きる」「私のことを傷つけるような発言が耳に入る、SNSで目に入る」ってことが増えてきたら、
それはたぶん、心にゆとりがなくなってきている。
そしてその原因は案外「体が疲れている」ってことからきているんじゃないか。

寝よう。
30分だけ長くでもいい。
眠れなくても横になっているだけでもいいと思っているので、私はよく起きないでゴロゴロしている。

寝付けなかったら音楽をかけてもいいかも。
私はBluetoothのスピーカーで睡眠計の音楽をかけたり、時にはyoutubeでお笑い系を検索して流している。
昨日はどうしても大笑いしたくなって、流れ星の「ひじ神様」を検索してみてしまった。
(隣と壁が薄い人は難しいかもしれないけど、)

長く寝るのすら疲れているなら、マッサージとかもいいかもね。
とにかく「体に休息を、心にゆとりを」だよ。(と自分にも言い聞かせる。)

父へ 私とあなたの人生は違うのだと何度も告げても伝わらない思いを記す

帰りの夜空

両親と話し合う機会が2回ほどあった。
1回目は、退職の報告、つきあっている恋人がいること、同棲したいこと、の報告だった。
2回目は、相方と一緒につきあっている旨、挨拶に行った。

その2回目で、私は両親とは見ている世界が全然違うことを痛感した。
そしてそのことは、私にはわかっているけれど、親はちっともわかっていなかったのだ。

親が見ている世界は、「社会は厳しくて、つらくて、義務と責任を背負って生きていく世界」だった。
家族を養うために20代後半から、つい昨年まで50年近く自分の親や兄弟に仕送りをし続けた父には、そういう世界だったに違いない。
親が得る年金よりも多く仕送りしないと扶養家族として組み込めない、と会社に言われた。
自分より20歳近く離れている弟や妹の学費や生活費も、仕送りし続けてきた。
自分たちの生活、私と弟という子供二人を抱えて、普段の給料では赤字でボーナスでうめたりしながらやってきたそうだ。
「お金がない」「今月も赤字」という言葉は耳に入ってきたが、それがそういう理由でお金がないとは思っていなかった。
母も結婚してから、突然父のそういう仕送り生活に巻き込まれ、思うところは結構あったはずだが、黙って支えた。
私はそういう二人の行動をすごいことだと思うし、真似できないことだと思う。
それほどのことを子供には見せずにやりつづけた姿は立派だと思う。
そしてありがたいことのだと思う。私は私立の大学に通ったので学費の負担は大きかっただろう。

そんな父と母、二人にとって「お金で苦労しない生活をすること」が子供にとって幸せなのだと思っている。
会社員として勤めて続け、厚生年金と、老後に備えてその他もろもろ年金などを積み立てて、老後に生活に困らないで生きてほしいらしい。

正直2回の話し合いのうち、9割がこの話だった。
父の必殺「新聞記事印刷」も発動された。
父は昔から、子供の興味とか一切関係なく「いいことを書いてあるから読みなさい。」と勝手にコピーしておいていく人だった。
(弟はどうかしらないが、私はちらりと目を通して、捨てた。)
2002年の日経の新聞記事が印刷され、「老後の生活を失敗しないために」と書いてあるシミュレーションが渡された。
いわく「私が何も考えず、仕事を選んではやめていて、人生設計を何も考えていないから。」だそうだ。

相方にも渡されたときには、恥ずかしくて死ぬかと思った。
2002年って、私が高校生の時の記事だし、それって今参考になるのか??

idecoもやってるし、貯金もしてるといっても「毎月いくら支給されるんだ、わからなかったら意味がないだろ。」と。
でもそんなこといったら、私がこれまでに払い続けてきた年金は、私のために積み立てているわけではない。
今の時代、少し先の時代の年金生活者に払われているんじゃないのか。
私が払った額がイコール手元にくることはない。

私は30~50年後の自分の生活を安定させるために、今やりたいことを全て捨てないといけないのか?と思う。

彼らにって会社員という職を捨てて、やりたいことに挑戦する私は
「誰にでもできる、趣味同然で、小遣いも稼げるかわからない、成功なんてするわけもない道へ向かう愚かな娘」にしか見えないらしい。
もしも私が困って飢えて苦しんで死ぬとしても、もうその時に親はいない。とっくにいない。
それとも私が親と同じように「親に仕送りをする」ことができないことへの怒りを、私の罪だと思わせたいのだろうか。

そういう世界からみたら心配だろうけど、私は大人だし、自分で決めたのだから、と何度も繰り返した。
でも全く届かなかった。
親の経験、周りにいる会社員として生きた人々、権威のある人が「失敗しかしないからやめろ」といった話、新聞の話、
そういうことを基準に「お前が考えている世界なんてあるわけない。お前は失敗する。不幸になる、苦しむ」と言い続けるのだ。

私には私の経験があり、私の周りにいる会社員の人、フリーランスで生きている人、派遣社員をしている人、ブログやネットで知る経営者の話、そういう基準がある。
親にはのぞきみることがない世界が、確かにある。

確かに私が成功するかどうかはわからない。
成功したいと思って挑戦するけれど、挑戦が今願っている通りの成功になるかどうかはわからない。
でもなんで挑戦する前に「飢えて苦しんで死んで、不幸になる」と決められなければいけないのか。
「親だから心配しているの」という言葉は心配という言葉を盾にして、子供の未来を踏みつけてると思えないのだろうか?

「これ以上私を檻の中にいれないでくれ。」
と面と向かっていったときに、父は初対面の相方がいるのを忘れて激高した。
「何を言ってるんだ、お前は。親に向かって。」

お父さん、私はあなたと同じ世界に生きたくない。
23歳まで家にいて、あなたのお金で生活している自覚が小学生ぐらいの時からあって、やりたいことを多くは望まなかった。
あなたのいう「家族に対する義務と責任」をずっとはたしてきた。
周りの友達とそのせいで、自由に遊べなかった。話題もあわなかった。サークルもやめた。
あなたのいうOKのラインでアルバイトを見つけた。髪も染めなかった。

私はあなたのものではない。親だから子供を導ける時代は終わった。
あなたも大人で、私も大人だ。
私の人生を勝手に決めないで。
不幸になるとか、会社を3社辞める責任感のない娘だとか、成功しないとか。

私はあなたの人生が幸せかどうか知らない。幸せならそれでいいと思うし、幸せでないなら気の毒だと思う。
義務と責任を全うするのが幸せなら、その人生をこれからも歩んでいけばいい。
幸せでないのなら、義務と責任の人生をようやく終えたのだから、好きに生きたらいいと思う。

でも、私は同じような人生を歩きたくない。
私は私の見える世界を信じて、道を決めて歩いていくと決めたのだ。

このブログをあなたが読むことはないだろうし、読んでも「親に対する暴言だ」ときっとこれまで通り怒るだろう。
(昔思いの丈を手紙に書いたときに、そういいましたね、私が毎日辛くて自殺したいと思っていた時)
私が仕事を真面目にやって心身調子を崩したことを「責任感がないから病むんだ。」といった。
「それは私に対して失礼じゃない?」といっても、「失礼なことは言っていない。」といいましたね。
あなたにとって私は理解のできない存在なのだ、けれどそれでもいい。

私の人生が失敗だと思うのなら、それでもいい。
私はあなたの価値観とは違う価値観を持っている。
あなたの子供だけれど、違う考えと、違う世界を見て生きている。

あなたの世界に巻き込まないでほしい。

清水の舞台から飛び降りろ!

悪い想像は得意だ。
ありとあらゆる悪い情報を拾い集めて、頭で考えて怖くて動けなくなる、なんて考えなくてもできる。

例えば仕事を辞めるかどうか。
辞める時にされる反応はどうか?
罵倒か?
アドバイスという名の意見の押しつけか?
それに対してつぶれる自分?

まあ、そんなことがめっちゃ想像される。
だから結構足を踏み出すまでには時間がかかる。

親に相方のカミングアウトする日も眠れなくて、電話する手も震える、なんか結局泣いたし。

しかし全ては動き出した。
仕事はもう今月末で終わり。
父親も母親も私の選択を快くは思わず、今度話し合いに実家に帰る。

どれほど悪い想像をして足が震えようと、
吐き気に襲われるけど、胃液しか出ないぐらいストレスに震えていても、

一度踏み出してしまうと向き合うしかない。

踏み出すとしゃんとする。
自分が選んだことだ、と、腹が据わる。
少しは選ばなかったほうを想像して、「うまく行ったかもな、、」とは思うこともあるけど、
それでも選んだ方に突き進んでいく。

突き進んでいく自分がいるのがわかっているのに、いつも悩んでる時間が長すぎる。

自分を清水の舞台から落とせ!
震えてる私を落とせ!!

いや、大きく助走つけて自ら飛び降りろ!

大丈夫、自分で決めたことならば、
たとえ怪我をしたって、笑って起き上がれる。

via PressSync

あなたはあなたの世界で、私は私の世界で

ちょっとおもしろい体験をしている。
角がたちすぎるので、詳しく書けないのがもったいないぐらいだ。
いつか書きたいな、時期がすぎたら。

このことにちょっと関係することを、ちょっと書きたいと思う。

私は昔、全員に好かれていなければいけないと思っていた。
人の顔色をうかがって生きることが、小さい頃から身についていたんだろう。
嫌われたら死ぬと思ってた。
学校のクラス、職場、とにかく必死だったとおもう。
恐怖でしかない。

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「人材」と「人財」 私はいろんな人といろんなことをできる自分でありたい

「人材」という言葉

木材みたいな感じで、組織を作る時の材料みたいなもの。
部品が壊れたら、新しいものを変えればいい。
耐久性とコスパが大事。

私の勝手なイメージ。
古い組織の考え方みたいな?
長く働いて、その会社の中の法律で生きていけるように。
歯車に徹して生きていけることのできるメンタルに、気づいたらなっているみたいな。

「優秀な人材」っていうのは、たぶんその会社によって違うんだろうと思う。
安い給料で、長時間労働を黙々とできる人材かもしれないし、
営業成績がめちゃくちゃよくて、会社の売り上げに貢献する人かもしれない。

対して「人財」という言葉があると昔習った。
組織に属する人を、財産と考えていくのだと。
そのために制度を作り、人を育てていくのだ!みたいな。

それを昔は素晴らしいなぁと思ったけれど、今はふと思う。

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自分の生きていく上での基準って、案外身近な嫌だと思うことからも見つけられる

目の前で起きている嫌なことに意味があるとしたら・・・。
と昔はここまで考えられなかった。

嫌なことで心が占拠されて、1日じゃあきたらず、2日、3日とずっとひきずっていた。

最近は「この出来事や環境が嫌だってことは、反対がいいんだな~」って思っている。

例えばだけど。

私は喧騒の中でお酒を飲むのって嫌だな~って思う。
ということは、静かに大好きな人たちとお酒を飲みたいって思う。

挨拶無視されるって嫌だな
ということは、私は挨拶をしっかりしあえる関係性が好きなんだな。

どんな理由であれ、相手をののしるとか、罵倒するとか、手が出るような人は嫌だな
ということは、もし相手に注意や、叱る時には冷静に理由と言葉を選んで接するのがいいと思ってるんだな。

どんなに仲良くなっている間柄でも、性差別的な発言をする、体格についてネタにするような人は嫌いだな
ということは、相手がどこで傷つくかはわからないから、そういう話題をださないひとが素敵なんだな

雑居ビルが立ち並んでる中を通勤するって苦手だな
ということは、私は都会じゃないところで働きたいのかな。もしくは通勤が嫌なのかな?
とかとか。

自分の生きていく上での基準って、案外身近な嫌だと思うことからも見つけられる気がします。

だから時々、超イライラすることとか、どうしても許せない事も、「なんでそう思うのかなぁ~」って考えるのオススメ。

「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくるby立花岳志 お金の価値観を変えて生きていきたい!

私のブログの師匠である、立花岳志さん(以下たちさん)の新刊本の紹介をしたいと思う。
本屋さんを元気にしよう!というキャンペーンをたちさんがされていたので、久しぶりに新刊本を本屋で予約した。
入荷連絡が1週間ぐらい来ないし、本屋が改装されてしまうで、手元にくるのが遅くなってしまった。
今日読みたい!って、一駅分2kmを全力疾走して閉店1分前に取りに行ったときの、喜びをありありと思い出される。

本の内容は、たちさんのセミナーやいろんな講座を受講した人はみんないっていることだけど、私も言おうと思う。
「え~~これ、超すごすぎるじゃん!!講座の内容ぎっしりだよ!!」

たちさんは今回、セミナーや講座で話していることを余すことなく本に書いている。
それはもはや「このステージの話から、もう進化するからね!」という予告のように思える。

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