※ネタバレあり GHOST IN THE SHELLを見てきた

※注意!

  • このブログは映画のかなり核心部分のネタバレがあります。
  • 鑑賞前に見てしまうと・・純粋に楽しめなくなってしまいます。
  • また、このブログは攻殻機動隊の過去のシリーズを知っている方向けに書いています。用語の説明などは省いてしまっているので、ご了承ください。
  • 俳優さんなどの敬称略で書いております。

GHOST IN THE SHELLを見る前に思っていたこと

スカーレット・ヨハンソンがアクションがすごくできることは知っていたので、気にはならず。
どちらかというと・・・ビートたけしの課長のほうが心配だった(苦笑)
あとは・・世界観がどれだけ作られているのかも興味があった。
攻殻機動隊は用語もそんなに優しくないし、押井さんが作ったやつ(以下押井版と便宜上呼ぶ)なんて・・特に『イノセンス』・・引用の量が多すぎて、同じ日本人でも意味不明な気持ちになったり。
そういう世界を「初めて攻殻みる!」っていう人に伝えるには相当かみ砕かないといけなくて、
それが私のように、「攻殻好きすぎて死ねる。」みたいな人とズレがないかとか。

でもそういう数々の心配よりも「初代のキャストが吹替えやる!!」っていうほうが楽しみすぎて、
吹替で絶対見ようと決めてました。
(思ったりよ公開の館が少なかったことt、軒並み4/20までで吹替は終了だったのが誤算)

GHOST IN THE SHELLを見終わった後に思ったこと

オマージュの嵐でにやつく

あぁ、オープニングは映画の再現だな~とか、2501をこういう使い方するのか~とか。
『イノセンス』の時の犬!!とか。
過去からのファンの人にはにやつけるシーンが大量に用意されてたな~。
アヴァロンという用語すらでてきたときには、この製作陣は押井さんが本当に好きなんだな~としみじみ。
twitterでも「押井作品を愛しているのが伝わってくる作品だった。」という感想をみかけていたが、
本当にその通りだった

バトーさんの再現度が高すぎる

いや・・・バトーさんで実在できるんだね・・・・びっくりした。
義眼になってもなお、違和感なくて。この俳優さんを起用してくれたことに心から感謝したい。
それで日本語吹替でみたから、もう最高だった。

それ以外のキャストは・・・もう・・・それは・・・しょうがないよね・・実写だし・・みたいな。
多少キャラクターイメージが変わってたり(課長は人を撃たねぇんだよとは力説したい)
あと男女平等の観点からなのか・・・9課に女性メンバーが存在していた・・・衝撃。

義体を描く代わりに、電脳を描くことを捨てた

義体になっている、ということの戸惑いみたいなものは、ふんだんにでてくる。
機械の体に脳みそだけが入っている現実。
私はロボットなのか、人間なのか?
義体ならではのアクションも、やっぱりハリウッドは違うわ・・・っていう感じ。
少佐名物、高所からの落下とか・・。

でも・・・電脳については行かされていなかった気がする。
脳内で会話しているみたいなシーンはあるが・・モノローグでやりとりしているシーンみたい。
少佐が芸者ロボットのメモリーにダイブするときに、かろうじて再現されている感はあるけれど、
あの少佐が「メモリーに潜っている間は、無防備だ!」という設定はいただけない。
少佐は超ウィザード級ハッカーだし、攻性防壁とか、防壁迷路を電脳に備えているし。
無防備なわけがない。

9課の通信とか、敵の社長が通信傍受しているのも、ただの通信にしか見えない。
「電脳ロビーで集まってミーティングする」とか
「誰かの電脳をハッキングして通信傍受してる」とか
そういう書き方があってもよかったのではないのか?

今回は電脳については描くことを捨てた・・と私は解釈している。
(ゴーストハックのシーンはあったけれど・・・負の部分だけでは完ぺきではない)

少佐の過去が変わったことにより、孤独の中身が変質した

押井版と映画では少佐が「私とは何者なのか?」と悩む点では同じだが、
悩んでいる質が違う。
ゆえにエンディングが180°異なっている。

それは少佐がいつ、義体化したのか?という時期が違うことから発生していると思う。

映画では、少佐は義体化して1年。過去を覚えていないので悩みの主軸は
「私はいったい誰なのか?どんな過去があったのか?」
だ。

映画の後半で過去が明かされ、両親や仲間の記憶が出てきたこととで、
エンディングでは、9課に残ってこれからも戦い続けることが示唆される。
「過去ではなく、自分のなすべきことによって、自分は決まる。」

と。

対して押井版では、少佐が問いかけているのは
「私は人間なのか?機械なのか?」

脳みそと脳髄の一部以外は、全身が機械の自分。
「時々、自分にはゴーストがあると勘違いしている機械なんじゃないかと思うことがある。」
とすらいう。
生身の体をもってして、人間というのなら・・自分はなんなのか?

9課という仲間がいてもなお、埋められない、絶対的な孤独がある。
押井版ではいつから少佐が義体なのか・・・という事は確か描かれていなかったと思うのだけれど、
例えば、神山さんが手がけた「攻殻機動隊S.A.C」では「少女の頃事故にあって全身義体化し、その後も義体換装を続けてきた」ということが描かれるエピソードがあるし(ただ本当にそうかは、明言されない)、黄瀬さんが作った「攻殻機動隊ARISE」では「生身の体をもったことがない。」という設定になっている。

人間なのか?機械なのか?
そこに人形遣いというゴーストを持つプログラムとの出会いが背中を押す。
少佐は義体を脱ぎ捨てて、ゴーストだけの存在として、ネットの海にいってしまう。

仲間がいてもなお、埋めることのできない「機械としての自分」を捨てて去っていくエンディング。

2時間ちょっとでは描き切れない深さなのかもしれないけれど(押井版はやってたけど)
それをやるとかなりマニアックだからやめたのかもしれないし、
少佐が去って行ってしまったら・・・「2」とか作れないからなのかな。(2作る感じではなかったけど・・)

それゆえにクゼもちょっと中途半端

クゼヒデオがただの・・・復讐に燃える男だったのが残念だなぁ・・・。
少佐と同じ・・・義体とゴーストのかい離に悩みつつ、自分の電脳を難民にオープンに公開し、何万人に頭の中をのぞかれてもなお、揺るがない精神を持つのが・・・クゼヒデオなんだけどなぁ・・・。

あと・・なんでネットの中で自我を保ち続けられるとかも説明がなくて・・・残念だった・・・。

多脚戦車がイメージと違う!

攻殻といえば・・・・多脚戦車とか、アームスーツとか・そういう武器もいいのだけれど・・・
今回唯一でてくる多脚戦車がイメージよりかっこ悪かった。
(相方は、いや現実に存在したらあんな感じでかっこいい!と力説)
いやでもさ・・・もっとミステリアスで絶対的な雰囲気があるはずなんだよ・・・あのシーンは!!

攻殻機動隊という素材の奥深さを学んだ。

不満はあるとはいえ、つまらない映画だと断じるつもりはない。
どちらかというと、こういう風に実写できるのだな、と思って楽しめた。
オマージュをふんだんに入れることによって、監督のカラーがでたかどうかはわからないけれど、
1989年に生まれた攻殻機動隊という素材は、まだいろんな人がいろんな解釈をしたりすることができるのだなと。
そしてそれは日本にとどまらないと知った。

神山さんたちが新しい、攻殻をつくるというニュースもでているし、、、本当に今後が楽しみ!

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蒼(あおい)

蒼(あおい)

【真夜中のブロガー】 ●小さいころから自分が書いた文章で生きていきたいと思う会社員(接客業10年以上) ●実生活では本当の自分をだせず、ネット弁慶だったことから、大好きなblogで当時のファン友達を失うという大失敗を経て、それでもなお、文章で自分を表現すること、人に喜んでもらえるようなものを書きたいと挑戦中!! ●接客業を通しての仕事観、日々の雑感などを中心にほぼ毎日更新中。 ●夢は小さいころから変わらず本を出すこと!「何か語らないときっと後悔する」っていうサブタイトル通り、時代に爪痕を残せる人間になります!よろしくお願いします!! twitter:@yazumi_aoi