励ましの言葉に感謝でいっぱいです。

先日とある決断をした。
半年前には考えられない決断だ。
(この決断については、このブログではまた別の機会に書きたいと思う。)

自分を信じて生きていいと、初めて自分を許せたからだ。
価値のない自分、他人の顔色を伺い、100%応えられないことを苦痛に感じていた自分はいなくて、もうこの違和感からは抜け出さなくてはいけないとおもった。
この違和感を信じて未来へ進みたい。

だがそれでも、旧来の私の価値観も残っているから振り子のように心は揺さぶられる。
石橋を叩いて壊すまでのネガティブイメージにとらわれるくせは、まだ残っている。
頭をよぎるのは、相棒のボーダーラインだろうか。あの時のあの気分と紐付けて、とある絶望を呼び寄せる。

決断を知ったたくさんのお友達が、背中を押してくれた。
今日はその中でも、今後私の人生の中で忘れられない言葉を紹介したい。
(お友達へのリンクは後日。今日はモブログで書いてて、不慣れですみません。)

いつも助けてくれるかずいちさん

「まあ、いろいろあっても独りではないってことですよ。世界は広くて優しいんです。」

Facebookでいつも私が苦境に立っているときに、助けの手を差し伸べてくれる、ふくちゃん

「2つの人生を歩んで比べることは誰もできないので、「人の決断はいつも正しい」んです。」

それ以外にもたくさんの温かい言葉をもらって、幸せだなと思いました。
ありがとうございます。

これから私も言葉でたくさん、みんなを、まだ見ぬ誰かを励ましたいです。

あとは最後に相方の言葉を。

「何とか出来なかったら何とか出来る方法を考えればいい、一人ならともかく二人なら出来る」

前を向いて歩きます。

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今に自分が消費されている

最近ずっと調子が悪い。
風邪も治ったかと思えば喉が痛くなり、
喉治ったと思ったら熱がでて、
熱が出なくなったなとおもうと喉が痛い。
熱なくても熱っぽいとか、寒気がするとか。

圧倒的不調感。

今月は好調という2文字が私から離れ去ったみたいだ。

季節の変わり目に、さらに勤務が不規則になったことが追い打ちをかけているらしい。

今月の勤務のうち4割が深夜勤務。
今日のように明け方まで働き、朝帰る。
数えてみたら、ヘルプのはずなのに、私の深夜の回数が僅差でトップ。

あれ、、深夜にオープンしてるのが週の半分しかない店なのに、なぜ(笑)

知らないといいことも世の中ある、と気づく朝。

生活が脅かされている。
ご飯とお風呂と寝るためだけの部屋。
疲れてるし、体調悪いから家事も洗濯以外はまるでできない。
戦場のような部屋を見て、ため息をついて今日も寝るのだろう。

なによりも自分の時間がとれないことがつらい。
未来への投資が何一つできない。
今に自分が消費されている。

消費されているだけだから、なにも自分の中に残らない。
でも、なにか残そうとあせって、体調を崩したわけで。

私はいつ、普通に生きていけるのだろう。
そのまえに今に自分が消費され尽くしてしまうだろうか。

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自律神経の調子が悪いのは、自分を大切にできてないから。

今後の反省も踏まえて。
記録しておく。

自律神経の調子がおかしくなったようで、昨日の夜から熱っぽかった。
何回もはかってみたが、熱はなく、前にもあったが自律神経やられたなーと思った
(喉の痛みは2日働いたらぶり返したが、乾燥した空気とタバコに喉がやられた。あと花粉症もコンボできてる。)

生活リズムが不規則、
ここのところ、気を張ることが多かった。
仕事も、プライベートも。

私はあせっていた。
それほど多くはない休みを予定で埋めていた。
やりたいことがあるのに時間が足りない、
行きたいとこがあるのに時間が足りない
足りない、少ない、ない、ない、ない。
ないばかり数えて、自分に停滞感を感じて絶望していた。
だから、あせっていた。
今変わらないと、この先もまた前と同じになる。

前職、前前職の反省として、不規則なシフトに甘んじて、体力優先で家にこもって動かなくなると、体の疲れはとれても、心は疲弊しっぱなしになるのだ。
世界が限定されることに、私は昔から耐えられない。

外とも繋がっていたい、
いろんな意見や話をたくさん聞きたい
出かけたい場所もたくさんある
私は広い世界に行きたい。

まだ足りない。
そういう思いがある。

で、それをやりすぎた。
今現在、微熱。
浴槽に使ってなんとか汗をかこうと熱めのお湯に入っている。

体が悲鳴を上げるまで気づかないなんて。
いや、気づいたのに無視してたなんて。

自分を守れるのは自分しかいないのに。

ついメンテナンス可能なパーツと勘違いしてしまう。
義体化できるなら喜んでしてしまうだろうなー。

でも現実に義体化はないし、
仕事も慣れてるけど、疲労は確実に蓄積している。
ちゃんと休むことが、自分の夢を叶える、
世界を広げるための第一歩なのだから。

もっと自分を大切にしなくては。

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ネガティブとポジティブのモノサシ

SNS、ブログにネガティブなことを書かないと決めると、途端に何もかけなくなる。
メッセージ性のありそうなものに関しては、特にまるっきりかけない。

ネガティブがなければ、別に普通のことを、普通のテンションでかけるんだけど、1点でも心にネガティブがあると進めない。
(逆にポジティブなことは、あんまりどんな時でもかけないのかも。)

そういう時は、ネガティブを全部文章にして、タイムラインに流してきた。
タイムラインに流れて見えなくなると、供養された気がするからだ。

この文章にする場所は、非公開の場所でも、手書きノートでもダメなのだ。何度となく試したが、非公開やノートで書くとよけいに溜め込んでいる感じで、解決しない。
ノート破るとかも、全然効果なし。
一人相撲感でよけいにいら立つ。

誰かに話す、も実はダメ。
意見も共感も、ネガティブが膨らんでいくから。

ただ、書いて流してしまいたい。
流して消え去ってほしい。
(厳密には消えないし、保存可能。)

ただ、タイムラインを汚している自覚はある。
今後においてマイナスという指摘ももらって、そうだよなぁ、と思う。
先にも書いた通り、証拠として永遠に残る。
それがネットの世界。

それでも私には吐き出す場が必要だ。
ネガティブを感じることは少なくなったとはいえ、0ではない。
前が120なら今は40ぐらい。

例えば、セクハラされたあの日の怒りは実はまだ残っている。(やっぱり、お姉さんいくら?って言われたのは我慢ならない。屈辱だ。)

ネガティブのモノサシは私の基準。
ポジティブのモノサシも私の基準。

光と影のモノサシの影だけ取り去ることは、今のままだと無理だ。

ネガティブを何らかの手段で今後も書いていくか、全く思考パターンを変えるか。

第3の道はあるのか?

雨の日の朝、考えている。

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ビリーフが残した置き土産

今日仕事にいったら、思いがけないことをいわれた。
「蒼さんって、モチベーション低いときってあるんですか?」
きょとんとした。
私は正直に言うと、仕事に対してモチベーションを一定に保てないことが悩みだ。
むしろ、やる気ないなぁ~からの、まぁまぁ今日もがんばりましょう、の地点にしか持っていくことができないのを克服したいぐらいだ。
(このことはこちらにかいた。)
「いやいや、私そんなにモチベーション高くないですよ?」
というと、向こうが驚いた顔をした。
「え、モチベーションが低い蒼さんって、想像できないんですけど。」

超びっくりした。と同時になんだかうれしくなった。
私はどれほど仕事に対して「今日はどうしても無理だ・・・今すぐ帰りたい。」っておもうにせよ、これだけはがんばろうということを決めて仕事をすることにしてる。
何しろ、私はちっとも完璧に仕事ができない。
あっちいっても、こっちいっても注意されることばかりだ。
しかも今はいろんな店のヘルプにいって、頭が全然切り替わらなくてオペレーションが混ざって、迷惑をかけている。
この間教えたのに~と何度周りに思わせてるかと思うと、と時々その事実がしんどくて心折れそうになる。

とにかく私ができることは、どれほどやる気がなくても一つ頑張ることを決めること。
あとは確実に仕事をしていくことだけを考える。

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人生を自分に取り戻すために、健康的に生きると決めた。

3月。
明らかに生活が停滞しだしている。
家でソファーで寝落ちしてしまったり、ご飯を食べる気が起きなかったり。
ちょっとパワーがいることにヤル気が起きなかっなり。
どんどん生活が崩れていっていて、辛い。

理由は明らか。
生活リズムがめちゃくちゃなのだ。
元々夜中まで働く生活をしてたが、これまでは通勤時間もそれほど長くなく、ある程度の時間的な統一感があった。

3月からそれが乱れだした。
まず、朝まで働くシフトが入ったことが大きい。
正直、二つ前の職を退職した理由の一つが、昼夜逆転生活の生活で体が悲鳴を挙げたことにあり、もう二度とその働き方をするつもりはなかった。
なかったんだが、気づいたら現場研修のシフトがそうなっていた。
朝まで働いて次の勤務が夕方まえ、ということもあり、、体が辛い。
以前もそういう睡眠時間が短い勤務をしてたが、通勤時間が全然ちがう。
昔は片道10分、今は片道1時間だ。
正直なところ、睡眠時間がガタガタだと辛い。
もっと若かった頃に辛かったのだから、今はもっと辛い。

体力削られると、どんなにネガティブ心理が少なくなったとしても、頭が痛い、体がだるい
など、不調がでてきて、ポジティブでは早々いられなくなる。

そう考えると、やはり生活リズムをきちんと整えることが、自分の人生を取り戻す最良のことなのだと思う。

今願うのは、朝に起きて、夜寝るというシンプルなこと。
遅くても1時には寝たい。
3食をほぼ同じ時間に食べたいし、ご飯の時間はゆっくり取りたい。
ゆっくりご飯を食べられないのも、ストレスである。
ご飯を食べながら気を休めたい。
早く寝なきゃとか、早く出かけなきゃとか、そういうご飯は望んでない。

というか、転職した理由としては、そういう生活を手に入れたいということも大きかった。
やりたいことと、自分の体と向き合って働き続けるということをかんがえていた。

立ち止まってみて、転職した理由がかなっているか?とおもうと、今はまだかなっていない。
かなってない理由は諸々あって、なかなか難しい。

でも昔ならただ我慢していた気がするけど、今はそういう訳では無い。
自分が大切だ。
自分の健康は自分で守らなくては!

人生を取り戻すためには、生活リズムは大切だ。
私は私の人生を大切に生きると、決めたのだ。

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会社員にも、ブロガーにもなりたくなかった。

会社員/ブロガー

スラッシャー的に肩書きをつけるなら、、こうなるだろう。
でも、この2つの肩書に違和感があったので、その表記をしてこなかった。
もう10年以上ブログを書いているけれど、自分をブロガーだと思ったことがなかった。
たまたまブログという場所に書いているだけであって、ブロガーとして食べていこうとかがつがつした思いはあまりなかった。
一時期がつがつしてみようとして、広告入れたりアフリエイトはったりしていたけれど、なんかの拍子に広告が表示されなくなったりしたから、もうよくわからなくて、いったん放置していて、なんかそれはそれでいい気がしている。
読者としてほかのサイトにいくたびに、興味のないネットコミックの広告に出会うことが増えて、割とげんなりしているからだ。

なので、このブログから収益がでることはない。

文章で食べていきたいと思っているけれど、ブログから広告とかアフリエイトで広告を得られるような類の内容は興味もないし、書けないので、ブロガーとしては致命的な気がしていて、余計に名乗れなかった。
(買ったものを紹介するとか、ガジェットレポするとか、、、)

同じくもう10年以上会社員をやっているのに、何かの書類に会社員と丸をつけなくてはいけないときに、ずっと違和感があった。
会社員って平日スーツ着て働いている人のイメージだったので、時間も休みも不規則な自分が会社員だという気がどうしてもしなかった。
店で働いている人、勤め人みたいなイメージ。

昔も今もあまり会社に属している・・・という気持ちがない。
その会社で働いているという認識はあるし、果たすべき責務や役割の対価としてお給料をもらっているわけなので、しっかり仕事をしてきたつもりだし、今もしているつもりなのだが、どうも、心の底からなじめたことがない。
外からみるとすごくなじんでいるように見えるらしいのだが、心中はいつも透明なガラス越しに会社をみている感じだ。
中2病的な言い方をすると「どうやらここは自分の居場所ではない」という落ち着かない気持ちが常にある感じだ。
(そういう気持ちが仕事とプライベートをガッツリ分けたいと思うのかな。プライベートで店を利用してうんぬんって言われると、抵抗があるのはそのせいだと思う。)

「自分の名前で仕事をする」という宣言を最近した。
その時に気づいた。
私はブロガーにも会社員にもなりたくなかった。
自分の名前で(それは本名なのか、長年ネットの世界で生きてきた蒼という名前なのかはともかく)生きていきたかった。
それがどんな手段であれ、自分で生きていきたい。
ブログという世界に限定せず、会社という組織の中で生き続けるのも違うのだ。

社会の歯車として、私の代わりは数え切れないほど存在する。
今後それは自分の名前で仕事をする、といったところで同じことだろう。

どこで生きていても、私の代わりは存在する。
一つミスをしたら、取引をしてくれた人は新しい人を探すだろうし、
ミスをしなくてももっと腕がよく、価格が安い人を見つければそちらにいくだろう。

でも自分の生き方の代わりは誰にもできない。
私の人生において、誰かの、組織の歯車になって終わってはいけない。
やれることをやってるだけの世界は終わりにして、やりたいこと、魂が喜ぶ生き方へ今年はシフトしていく。

久しぶりに怒っている

久しぶりに怒っている。
昨日、今日と、ずーっと怒っている。
久々に怒りの沸点が低いから、ずーっと怒ってる。

昨日は1日お客さんにセクハラ紛いの発言を繰り返された。しかも1日に3回も来たから、ほぼ終日そのお客さんにからまれることになった。

昔はそういう場面にでくわすと、自分を貶められている!と感じて憤っていたのだけれど、今は別にそこに怒っているわけではない。

まず、「そういうことはよくあることだ」と受け入れようとした自分に対して怒っている。
よくあることであってたまるか。
「お姉さんいくらなの?」ってよくあることなのか?
私はそんなふうに言われるために働いている訳では無い。
というか、それでもお金を払っているお客さんだから、って自分を納得させて、自分を大切にしなかった自分に対して怒っている。

そして、「よくあること」だから、面白がってるのか、笑いにすることで励まそうとしてくれたのか、「またあのお客さんきたら面白いね」って言われた時に、つい「もー、やめてくださいよー(笑)」っていった自分に対して怒っている。
怒っているというより落胆している。
自分をちっとも大切にしてない。

私は嫌だった。
すごく嫌だった。
笑うとこじゃないのに、笑った自分が嫌だった。

自分を守れるのは自分しかいない。
どれほどまわりに、私を愛してくれる人がいたとしても、悪意なき悪意の前に常に誰かが守ってくれる訳では無い。
最期まで自分を守れるのは自分だけだ。
こういうことは周りの人がみても、本当の痛みとかはわからない。傷つくか傷つかないかはその人次第かもしれないし、性別によっても受け取り方は違う。
(相方もどちらかというと、ウザイ客がきたね、って爆笑してたから、温度差だなーって思った。)
こういう時誰かが守ってくれると、思わない方がいいのだろう。
だから、私は自分を守ってあげなくてはいけなかった。

なのに、私は自分を守らなかった。
また、大切にしなかった。

昔は自分の価値は、人に認められないとないと思ってたから、自分のことなんてちっとも大切ではなかった。大切にしたいっていいながら、そんなことをして居場所がなくなる方が怖かったからだ。

でも、今は違う。
私は誰に認められる必要も無い。
私は堂々と存在している。
自分のやりたい事をみつけ、未来に向かってエンジン全開で走りだした。
私は自分を大切にして、愛して、堂々と生きていくと決めたのだ。

それにも関わらず。

「お客さんだから」
「接客業だったら、絡まれるとかよくあることだから」
「居酒屋で働いてるから」
って納得させて、なかったことにしようとした自分に本当に腹が立っている。

そして悲しい。
そして怖い。

私は仕事においてまだ、自分を大切にできないのか。
また同じことに出会ったら、またなかったことにしようとしてしまうんじゃないか。

絶対にありえない!と言いきれないことが、こうやって怒りを膨らませているのかもしれない。

そんなふうだから、今日もいろんなことがある度に、イラッ、イラッってしていた。

明日は休みだから、嫌なことをいったん受け止めて、よく考えていきたい。

追記
その後、深夜の駅の駐輪場で相方に電話した。もう一度話を聞いてもらって、泣いて怒ったりしてぶちまけたら、ちょっと落ち着いた。
うんうんって聞いてもらって、相方の意味わかんないボケにツッコむのが最高の心のリハビリ。

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自分を最後まで守れるのは自分だけだ。

もう10年以上、接客業をやっている。
嫌なことには慣れてきたつもりだ。

殺すと言われても、
セクハラ紛いのことを言われたりされたりしても、
「まぁ、この職業がら、よくあることだよね」といって流してきた。
周りの人も割とそうしてきたような気がする。

しかし最近はなかったことにはしないことにした。
私は嫌な思いをした、ときちんと受け入れる。
だって嫌だった。
不愉快だった。
そういう相手に対して嫌いだと思っている。

その気持ちをなかったことになんてする方がおかしかった。

なかったことにした気持ちは
心の奥でどんどん溜まっていくから、いつかわたしの心は真っ黒に汚れてしまうんじゃないかと、昔は悲しく思っていた。
でも周りも、そうして乗り越えているから、私もそうやってきた。

でもちゃんと嫌だったんだから、と認める方がいい。ネガティブをとらえる訓練が生きる。

悲しい?
寂しい?
怖い?

嫌だったことに対して、向き合う。

むきあって、受け入れてあげることが自分を守ることになる。

自分を最後まで守れるのは自分だけだ。
自分しかいない。

どれほど愛してくれる人が周りにいたとしても、
自分を死ぬ最期の日までそばにいて、愛してあげられるのは自分だからだ。

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