あの頃はちゃんとわかってた夢に、 自分の人生の目的をぎゅっと結んだ日。

今日コーチングをうけて、小さい頃から好きなものが首尾一貫していることを知った。 あまりに一貫してて面白すぎた。

キーワードは
境界線、
人の心
好奇心
そして救いたい

リアルの隣にある、別の世界。
そういうものが好きだ。

リアルの地続きにふっとスピリチュアルなものが入ってくる吉本ばななさんが好き。

自分の心と犯罪者の心は常に紙一重。
なぜそうなってしまうのか、理由が知りたくて、クリミナル・マインドを見ている。
私はなぜシリアルキラーにならないのだろう?

人の心も好きだ。
辛くて読み返せないぐらい好きな作品である、
宮部みゆきさんの孤宿の人。
思惑が思惑を呼び、狂想曲のように動き出す物語は苦しい世界だ。

仮面ライダー龍騎で、願いを叶えるために他のライダーを殺すかどうか、迷う姿が好きだ。
答えなき答えを私に提示して、ifを考える時間が好きだ。

相棒のボーダーラインのような話に完全に同調して、心から苦しかった思い出がある。社会から孤立して、社会に殺されたと訴えなければならなかった人の心に共感して、死にたくなるぐらいだった。

私は知りたい。
あの人はなぜその道を選んだのか?
なんでそんなふうになっているのか?
答えはないと知ってるから、探したい。
答えを知りたいと願いながら、知らなくてもよくて探し続けたい。

好奇心。
探究心。
なんと呼ぶのだろう。
知りたい。

攻殻機動隊SACで、人はオリジナルなきコピーたちがオリジナルを叫ぶのに、タチコマはコピーを繰り返すごとにオリジナルが目覚めていく。

なぜだ、知りたい。

仮面ライダークウガで、グロンギという種族はなぜ殺しをヒエラルキーを決める文化にしたのか知りたい

リアルであろうが、架空であろうが関係なくて私は知りたい。探し続けたい。

知り続けたいという気持ちと、見つけようとする行動が文章になったら、私は救いたい。
1番最初に昔の自分を救いたい。
いつも自分を救いたかった。

そしてその救いたいというものが、誰かの心の中を救えたら。

それは嵐の中の灯台のように。
それは真暗な闇の中の北極星のように。

少しでも、自分の人生を迷いなく歩けるような灯りに、灯りのような文章をかけたら。

なれたら、と書いたけどなります。
そうするって今日決めたから。
小さい頃から文章で生きていく、って思ってました。
会社員じゃなくて、自由に自分の足で生きていくものだって。
だから決めた時もひゃードキドキとか、オラろワクワクすっぞ!とかではなく、「そうだよね、そうだったよね。」って静かに思いました。
怯えとかないの。
できないとも思わない。
ちょっと大変かなーとは思った。
でも2ヶ月くらい前に怖い、できない、私は常に2番手な人生と思い込んで妥協して生きていたあの思いは微塵も出てこなかった。

私は助けをたくさん借りて、変わった。

あの頃はちゃんとわかってた夢に、
自分の人生の目的をぎゅっと結んだ日。

人の心
境界線
好奇心
北極星
灯台
探求者

肩書きもってつくって軽やかに生きていきたい。
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ストレス

体調がよくない。
色々な変化がおおきい。
よくも悪くも。
そして、不規則。
もう二度とやるつもりのなかった不規則。

体調よくないから、ストレスを呼び寄せるかのごとく。
目に付く、耳につく。
タバコの匂いと煙のストレスが、割と自分にとって大きいことを悟る。
そうだ、喉弱いんだわ、、、。
体調悪くなるのそこからだし。

毎日タバコの匂いのする髪を洗うの、我慢出来なくなる。

今日はそういう日だった。

だから今日は寝る。

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仕事にやる気が出ない時の私のやり方。

やる気なんてものは信じない。やるかやらないか。
やる気に左右されるなんて、プロではない。

そういう言葉はたくさん聞く。

でも、私は思う。
やる気は仕事を左右すると。

私は割とやる気に左右される方だ。
今日は元気だなぁ~とか、
今日はやる気ないなぁ~とか、
いつも思う。

元気なら、今日も楽しくがんばってやっていこう!って思って仕事に取り掛かる。
そういう日は、多少めんどくさいことにぶち当たっても大丈夫だ。

じゃあ、今日やる気ないなぁ~と思った時はどうするか。

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表現の世界で、人を救える存在になりたい

3.11を経験したとき、私は「表現の世界で、人の心は救えない」と信じた。
当時、レンタル店で社員をしていて、私の周りにはエンターテイメント的なものしかなかった。
映画、ドラマ、音楽、ゲーム。
周りにあるすべては、何を救えるのかと思った。
私がこれまで仕事にしてきたものすべてが、無力であり、無価値だと信じた。

仙台で私の従兄弟の家族が被災し、生まれて1年にもならない子供が亡くなった。
私の大好きな祖父母にとっての、初のひ孫。
私の大好きな叔父と叔母にとっての初孫。
あの日が、奪い取っていった。
私は出会うことのなかった小さい命。

当時、仕事で心身ともに追い詰められていた時期でもあったから、未来がある小さい命が失われたことが許せなかった。
死ぬなら私が死ねばよかったのに、と思った。

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サラシナ 芝田勝茂~自由に生きろと私に語り掛けてくれた本

なんで好きかといわれると言葉に窮する本がある。
それが「サラシナ」という本だ。

この本はたまたま、高校の図書室にあったので読んだ本だった。
児童文学である本が、なんで高校の図書室に入ったのかはしらない。
たまたま手に取って読んだらおもしろくて、忘れられない本になってしまった。
時々図書館でリクエストしては取り寄せて読んでいたのだが、去年の誕生日に思い切ってamazonのほしいものリストにのせたところ、
プレゼントしてもらった。

大人になって読み返してみても、好きな本であることに変わりがない。
だがどこをどうして好きか、というのをうまく言葉に出来ずにいる。
でも、とてつもなく好きなのだ。
読んでいて幸せになる。

「あの人に会いたい」系の本は本来苦手だ。
私は少女マンガであったり、恋愛がど真ん中にあるような小説は避けて通ってきた。
タイムスリップして向こうの世界で過ごして、恋とかしちゃう話も、嫌いだ。
あと歴史系の話もそれほど好きになったことがない。

となると、「サラシナ」は私が本来絶対に好きにならないタイプの本だ。
主人公のサキがタイムスリップして、恋愛もしちゃう話、ただ端的にいうとそういう本だからだ。

なのに、この本はそんな私のすべての「嫌い」を乗り越えて心に迫ってきた。
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私には誰にも負けない世界がある~ピアノに圧倒的な自信を持っていた頃の話

「私には誰にも負けない世界がある」
いつの頃からかわからないが、私の中にある信念のようなものだ。
私は秀でた才能を何も持ち合わせていないにもかかわらず。
この「誰にも負けない世界がある」という圧倒的な自信は常に心の中にあった。

通っていた幼稚園のピアノ教室で、4歳から17歳までピアノを習った。
小学校の高学年からクラシックを弾くということをやめる選択をした。
クラシックがちっとも面白くなかったので、先生と交渉してポピュラー系の音楽にかえた。

年に1回のピアノの発表会は、みんなクラシックなのに私だけ
「ホールニューワールド」とか「パリは燃えているか」とか「海の上のピアニストより 愛を奏でて」だった。
それも自分で決めた。
先生がレベルに合わせて候補を選んでくれるが、自分もCD屋さんに足を運んで、視聴して曲を選んだ。

ピアノに関しては自信があった。
技術ではなく、表現力には圧倒的な自信があった。
全く何の根拠もないが「私は誰にもピアノは負けない」と思っていた。

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私、、たぶん痩せたくないのかもしれない。

痩せたいと常に思っている。
むしろ、周りから「デブ!」って小学生の頃に言われたときからは確実に痩せたいと思っている。

一度仕事のストレスで、食べれなくて5キロぐらいやせたことはあるが、健康的に痩せたことはほぼない。

不思議なことに「痩せたい」というぼんやりした目標はあるのに、具体的なものが一個も思い浮かばない。

やせたら着たい服もないし、
痩せたらできそうなスポーツとかも、スポーツに興味ないから無い。
痩せても綺麗になりそうな気がしない。

やせるための運動も、続いたことがあまりない。
去年ホットヨガにかよっていたけれど、それも月1-2ぐらいが精一杯。
ジムはマシントレーニングがイマイチ効果あるのかわからず、聞きたくても、インストラクターさんたちの体育会系のノリに恐れおののいて、長く通えなかった。

私の心の奥底にあるものを考えると
「おなかいっぱいになった?」と聞く母親がでてくる。
「うん、なった。」
以外の返答は許されるはずもなく、小さい頃から肥満気味の数値になってもなお、親も私も改善しようとしなかった。
好き嫌いは一切許されず、残さず食べることをしつけられたので、何かを残すことにも罪悪感がある。
(ちなみに反動で大人になってからは、昔嫌いなものはほぼ食べないので、、偏食気味になっている、、と思う。)

思えば、母方の祖母にも同じことを聞かれた。
あれも食べろ、これも取っておいた、とか、とにかく食べもの攻撃で、帰省すると軽く3キロは太った。
(父方の実家にそのあと帰省すると、母がピリピリしていて、おかわりとか、できる気配がなく、母に気を使って、ちょこちょこっと食べてすぐ、食卓から逃げ出すようにしていた。その甲斐あって、やせてプラマイゼロというのが夏のお約束であった。)

祖母も、母も、とにかく子供を満腹にさせないといい親ではないビリーフなどを持っていたのではないだろうか。

そして私は「親の期待にパーフェクトに応えるスーパーいい子ちゃん」として生きてきた。

なんて、親への文句でいつも終わるんだけど、たぶんそれだけじゃない。

ジャンクなものが超好き。
甘いものも超好き。
美味しいものを食べるのがストレス解消。
深夜のヘビーな晩御飯大好き

運動とか全然したくない。
なんなら(無理と知ってても)、楽してやせたい。
長距離はマラソン大会でビリを走って、後から出発した男子にぬかれてるところを沿道の保護者に応援される屈辱しか思い出せない。

唯一得意な水泳は、筋肉落ちすぎてて多分200mもいかないで、クロールの肩が上がらなくなる、水着で太った体とか、ハードル高すぎる。

とか、とにかく痩せたくない理由は腐るほどでてくるんです。

痩せたいって言葉は、ちっとも本気じゃない。
デブっていわれたら、言ってきた人を嫌いになるけど、デブっていわれた自分に傷ついたりしない。

痩せたら、、私にはどんないいことがあるのだろう。
BMIが正常範囲になったら世界は変わるのか?

ちっともイメージできない。
可愛い服をきたら、人生変わるのか?
メイクや髪型も変わるのか?

ほんとに正直疑念しかない

もう、本当は私痩せたくないんだろうな、って納得して、現状維持!から始めたらいいのだろうか。

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人生を減点しながら生きてくのはやめた。泥臭く積み重ねていく。

撮りためていた、女子のフィギュアスケートを見ていたらソファーで眠ってしまった。
雨音も激しく、眠るにはぴったりの夜だ。

AC/DCやビヨンセで踊ることの出来る時代なのが、なんだかとても嬉しい。
クラシックで優雅に滑るだけが、美しさじゃない。
躍動も美しさだ。

小さい頃、フィギュアスケートを見るのは好きではなかった。
当時はジャンプで転倒すれば終わり、という時代だったから、エキシビションだけを見るようにしていた。

失敗したら終わり、というのはとてつもない恐怖だった。
だって、私も一度の失敗に対して、もう二度とその過ちをすることは許されないぐらい、叩きのめされる家で育ったからだ。

ほんとに図形の回転とから立体を切断するのがわからなくてとった49点。
平均点も40点だったのに、復習しないお前が悪いと烈火のごとく怒られた。
ほんとにわからなくて、イメージもできなくて、なにがわからないかすらわからなかった。

わからなかろうが、なんとかして最低でも70点ぐらいとらないとこの家に居場所はない、という潜在的な恐怖が常にあった。

でも、今のフィギュアの採点は変わっていた。
転倒したり、手をついたことと、回転が足りていたかを切り分ける。
加点式の採点になったと、素人目には映って、前よりもフィギュアスケートを楽しんで見られるようになった。

だから、今期はぜんぶのスケーティングを楽しんで見られる。
メダルを目指す選手もいれば、
フリーに進むことを目指す選手もいる。
キスアンドクライの表情もそれぞれの目標に対してどうだったのか?というところを見られてうれしい。

私の人生の採点はどうだろう。
1ヶ月前までは減点方式だった。
なにかミスしたら、もうやり直せません、という宣告が採点ボードにのって、私はキスアンドクライで常に泣いて、怒っていた。
なんで減点するの?おかしいんじゃない?と採点方法に噛みつきながら、なぜ失敗したのか、なぜ満点を貰える演技ができなかったか、で常に自分を責めていた。
採点者はなんとなくの他人軸の評価。

責めれば責めるほど、キスアンドクライで泣いてばかりの人生だった。

今、私の人生は加点式だ。
ミスしたら、そのミスだけを減点する。
次回に向けて修正する。

修正はできる。
コンビネーションジャンプに失敗しても、プログラムの中でもう一度コンビネーションにできるか挑めばいい。
さっきのジャンプと今度のステップは別問題。
集中して挑もう。

仕事や人生も一緒。
失敗したと思ったら、切り替えて次。
原因の根は探るけど、感情は引きずらない。

一個の失敗で、自分のための時間は無駄にはならない。

だから、昔の私(失敗したら己の価値も居場所もなくなると思っていた)に言いたい。

数学で49点なんかで、あなたの価値は決まらない。
完璧にできない事を責めて、己を傷つける必要も無い。
苦手なもの、嫌いなものまで120%できるようにしようとして、やっぱりできない自分を責めなくていい。

49点をとったテスト以外は、7割以上できてた。
完璧にできなかったけど、いつも必死に頑張ったから、その姿勢をちゃんとみて私のことをしたってくれた人達はいた。
嫌いなもの苦手なものを得意として、協力してくれる人がいた。

正直、人生はフィギュアより美しくなくてもいい。泥臭くコツコツいけば、加点で積み重なっていく。

だから、大丈夫だといいたい。
いつか審査員は全部自分になるから。
親でも上司でも、友達でもない。

あなた自身が、自分に冷静な採点ができれば、、またきっと、次も自由に美しく滑ることが出来る。

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