経験が軸になり、わたしの中で言葉になり、それを世界にむけて紡ぐ

経験して気づくことがある。

例えば、夜締めにいくだけだからまぁ、21連続で店いくけどやれるだろ、、って思ってたけど、7連勤ぐらいでマジで病むとか。
いや、6連勤までですね、、ギリギリいけるの。
それ以降は全てが憎いって思うのを超えて、私はこんなところで、、何をしてるのかしら、なんて人生において無駄な時間を過ごしてるのかしら、という境地になる。

借りたものをきれいに返すのは当たり前だと思っていたけれど、レンタルDVDを毎回子供に遊ばせてるのか、盤面傷だらけで再生不可になる人がいて、レンタル前と後できっちりチェックしてから、やんわりと指摘したらキレられたり。

逆にたくさんの人が手に取るものだから、状態が悪いこともあるよね、と思って利用していたけれど、人によっては「俺のこのDVD見れなかった時間はどう保障してくれんだ、てめぇ、殺すぞ!」みたいに怒る人もいる。

セクハラのニュースが世を騒がせてた頃、私の周りにはそれほどそういうことを言う人はいなくて、そんないるもんかなーって思って、居酒屋で働きだしたら、まさかの毎日レベルで下ネタいわれたり、手を握られたり、あげく、お姉さんいくら?とまでいわれる。酔っ払いがやることだから、笑ってあげてね的な雰囲気が当たり前にあることに死ぬほど驚き、これまでの自分の生活圏って幸福だったのだと思った。
周りにステキなジェントルマンのお友達がいなかったら、男性全てに殺意がわくレベルだったよ、いくら?って聞かれたの。

お客様には快適な環境で過ごしてもらうことを大切にして、そのためにサービスを徹底することをよしとしているので、そういうお店が好きで、お客様ファーストにできない環境は、どうしても違和感や、雑に接客してる感じになってしまって慣れないなとか。自分が行くお店もやっぱり、丁寧に接客されるかを気にして言っているなーとか。

自分に誠実である以上、相手に対しても誠実にできないようなことは、私にはできないなーとか。

いろいろ経験したことを書いてみたけど、こういう経験が価値観の指針になるのかなーと思う。もちろん事前に気づけたら、どんなにいいかしら、、と思うけど、やってみて傷ついてわかることもある気がする。

これを昔は失敗ととらえて、あの時こうしていれば、とか、あの人が教えてくれないから!とかもうそりゃぁ、人生を呪ったものだけど、今はただ、そういう経験が私の軸をより強固にして、世界をしっかり作り上げ、自分で自分を信じられるようになるのだと、思える。

ただ、当時の自分にこのアドバイスしても「今がしんどいねん!」ってキレられると思うんだけどね。特にセクハラ。そんなもん今後一生関わりたくない。

経験が軸を作り上げ、
わたしの中で言葉になり、
それを世界に向けて紡ぐ。

ブログやネットを通じて発信する人にとっては、大切なことなんだよな、と私は思う。

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宇宙戦艦の発進シーンが好きなことについての考察

最近スタートレックを見ている。
深夜勤務があって外が明るくなっても眠れない時にたまたま「新スタートレック」をやっているのをみた。
あまりにエッジが聞いていてびっくりしてしまった。
昔の作品は見たことがなかったが、JJエイブラムスがリブートしたほうは全部見ていた。
それもまた見たくなったら、Amazonプライムで見れたので昨日、今日とずっと見ている。

私は空中戦が好きだ。
例えば、スターウォーズでデススターを一機で撃ち落とすハラハラ感。
宇宙戦艦ヤマトで、ブラックタイガー隊が船から飛び出して行って変体を組むシーンとか。
狭い警告をすれすれに飛んで相手をかわしていく、空中チェイスもたまらない。

でも、それにもまして大好きなものが、戦艦の発進シーンだ。
しかもある条件を満たしているのがポイント。
ドックから普通に発進するのはダメなのだ。

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休日のひととき

今年も花見ができなかった。
仕事に往復する横目で、桜は気づいたら咲いて、そして散っている。
山桜が咲き始めたのでは、それをちらりと見ている。

今日は久しぶりに休み。
壊れた電子レンジを買い換えた。
なにかの運命かのように、一人暮らしをスタートした時の盟友が壊れた。
くるくる回ってチンってなるだけの子になってしまった。
新しい子は機能が格段にあがって、こちらがまだ「あの、牛乳などチンしてよろしいですか?」ぐらいの心的距離感がある。

久しぶりにご飯をゆっくり食べている。
ファミレスでのんびり。
始まりも終わりも自分が決められる時間は貴重だ。
貴重だと知ったから大切に思う。
近くの席のおばさん達の悪口に花が咲く会話だけがちょっと残念だけど、、最近はあまりそういうことに流されなくなった。

休みの日をゆっくり過ごすのは久しぶりだ。

あと、いちごパフェ食べて帰る。
洗濯機を回して、クリーニングをとりにいこう。

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桜木花道の誕生日には、自分を振り返ると決めている

深夜勤務明け、日曜の朝。
渋谷は猥雑としてて、都会は猥雑としててナンパで出来上がったグループがそこかしこにいて、酔いつぶれてる人もいて、都会には全く馴染めないなーって思って帰ってきた。
遊びに行くぐらいがいい。

家の最寄り駅につくと、1日の始まりで仕事に行く人、出かける人でさわやかで、太陽も緑もまぶしくて、こういう朝を最後にいつ体験したっけ?って思ってしまった。駅前のヤマザクラも咲き始めた。

歩き始めて、ようやく思い出した。
あ、今日は4/1だ。
桜木花道の誕生日じゃないか。
私が毎年、自分の生きてる道を確かめる日にしてるの、忘れるとこだった。

桜木花道とは、SLAMDUNKというマンガの主人公だ。私より10際ぐらい若くなると、もう読んだことがない世代らしいが、シリーズで1億冊も売る国民的なマンガだ。

私はなぜか4/1が花道の誕生日だと覚えていて、そして必ず私は、自分の人生や、そして何より自分自身を諦めてない宣言するようになった。
SLAMDUNKを読んだのが17の時だから、かれこれ16年ずっとやってる。

ブログに書いてない年もあるが、基本は書くようにしてる。

自分ができないなんてみじんも考えず、出来なくても今できることをめいっぱいやって、加速度的にバスケットマンとして成長していく花道は、天才でもあるだろうがその背中を追いかけるのは好きだ。

自分もそうでありたいと思う。
できないとか、天才じゃないから無理とか、
素人だからとか、そういう言葉で自分の首を真綿でじわじわしめるようにして殺していないか。毎年毎年、首を絞めたりゆるめたり。
今年もまだ苦しくても生きてられた、来年も生きてられるかな?みたいな。

もういい加減深く息をすって、お腹から吐き出してもいいと思うんだ。

だから今年の花道の誕生日には、こう書き記して置きたいと思う。

私はまだまだ成長できる。
その成長は人の期待に応えるものではなくて、自分の中から生まれてくるものだ。

アイキャッチは先日いった、ジャンプ展第2期より。

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