こんばんは。真夜中のブロガー、蒼です。
先日、頭の中をデトックスしたときにでてきた言葉。
「仕事が私を不幸にしている」ということ。
それをも今度は仕事観まで掘り下げて書いてみたいと思っているのですけれど、まだできてません。
ただ、なんとなく昔から
「仕事とは自分が好きなことをするために、お金を稼ぐだけのもの。生活費稼ぐため。」
という感覚がある気がしています。
まとまらないけれど、今日はブログに書いてみようと思います。
「仕事が私を不幸にしている」は本当なのか?って。
ずっと昔から、仕事は生活費稼ぐためのもので「辛い」という前提がある気がする
新卒で就職活動をしているときからすでに、「仕事は生活費を稼ぐもの」そう思っているところがありました。
メディア関係の仕事をしたいと思っていたのに、心の根っこのところは「生活費稼ぐため。」っていう矛盾。
当然受かりません。メディアの仕事は生活費稼ぐために情熱なしにできることじゃないから。
生活費稼ぐためとかいいながら「でもやりたいこと、得意なことをやれたほうがいい」みたいな欲もある。
自分の中で価値観が真逆を示しているので、だんだん方向性が意味わかんなくなっていくんですよね。
就職してからも、生活費を稼ぐためって割り切るには、仕事の負担が結構あるし、やるからにはついとことんやってしまう。
で、「仕事が私の生活を圧迫している」「割に合わない」みたいになるんだよなぁ、なんて思う。
その昔直属の上司に「生活のために働いているんです。何かを成し遂げたくてこの会社にいるわけじゃありません」といったら、
「正社員に向いてないんじゃないの?派遣とかバイトで生きれば?」といわれたことがありました。
この上司は妙な縁があるのか、今の会社で再会(笑)
名前を見るたびに「正社員に向いてない。」といわれたことを思い出します。
(今考えると、会社でやりたいことないですとか、もはやお荷物社員・・・。上司の言葉もわからなくもない)
「仕事が私を不幸にしている」ってどこから来た価値観なのか
父は愛社精神の塊。
いまだに自分の会社、自分が携わった仕事に誇りを持っていて、それを題材に博士号とるまで社会人大学院やった人ですから。
退職し、大学院も卒業してなお、日々研究のためにせっせと通学しているらしいです。
私は母の仕事をほとんど知りません。
話を聞いたことがほとんどないからです。
ただ「卒業ぎりぎりまで仕事が決まらず、母親からの仕事を紹介されそうになったが、コネだけは嫌だと思って、ようやく見つけた仕事だった」という話を覚えてます。
仕事に未練があったというそぶりもほとんどなく、結婚してから専業主婦で、一切働いていない。
なんか母は「生活のために働いてた」とばっさり割り切ってたような印象を持ってます。
(いや聞いたことがないので、実際はわからないのですが)
なんかこうやって書くと、両極端。
私が思う「仕事が私を不幸にしている」という価値観は、どうやら両親発ではないと思います。
好きではないが「嫌いじゃない」仕事を探している
今の仕事も、前の仕事も、何かが大好きで選んだわけではありません。
「嫌いじゃない」という側面が大きい。
「どんな仕事もやってみたら、楽しいこともあるしつらいこともあるものだ。」
「仕事についたら、ちゃんととりくむだけ。その仕事がやりたくても、やりたくなくても。」
文字にするとすごく冷たい感じですね。
「嫌いじゃなければOK」って思っている自分。
これは割り切ろうとして編み出した考え方なんだろうか。
本当は私はどんなことを「仕事」にして生きたいんだろうか
私は文章を書くことだけは、苦痛ではない。
小学生ぐらいから小説とか詩とか書いていて、大学時代は特撮の紀要に論文を投稿していた。
そして今はブログ。
毎日、毎晩書いてもそれほど苦痛ではない。
本当は自分が好きなことを書いて、それがお金になったらいいと思う。
「嫌いじゃない」仕事をしながら、「好きなことできない」って思いながら人生を終えるのは嫌だ。
嫌だと思いながらも、じゃあ文章で生きていけるほどの卓越した何かや、情熱はあるのかい?って問いかけると
「な、ないよ。」って心は応える。
「情熱ないなら無理でしょ。じゃあ仕事探さないとね。」
ってなってる。
まとまらなくなってしまったけれど、今書いてみて、思ったことがある。
仕事が私を不幸にしているのではなくて、
私が私を不幸にしているのだな。
私が「好きなことやれない」っていいながら「好きなこと」を見つけきっていない。
「嫌いじゃないこと」しかわからない。
好きなこと≠嫌いじゃないこと
私が私を不幸にしていることを、やめていかなくては。