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こんばんは。真夜中のブロガー、蒼です。

5日ほどブログをお休みしました。
ちょっといろいろあって、ブログに書くかどうか迷っていました。
アウトプットするほど思ったことがまとまらないということもあったし。

でも今日は久しぶりに書いてみようとおもいました。

私の中にある「怒り」のこと。
常に私の心の中に渦巻いているマグマのようなものがありました。
そしてその「怒り」が押し寄せた結果、私は変わりました。

今、私の怒りはブリザードのよう。心を凍らせていきます。

子供の頃から常に何かに「怒り」を抱いている

私は「顔に表情がでやすい」とよく母親にいわれてきました。
特に喜怒哀楽の「怒」の感情はもろに表情にでていました。
怒りとか、不満とか、そういう感情を顔に出さないように、なるべく気を付けていました。

でも、私の中には常に怒りがありました。
自分に直接関係ないことにすら、何かしら怒りをもっていました。

親に課せられた門限で、友達と自由に外で遊べない事とか、
クラスで誰かがやったことについて、クラス会が開かれて関係ない時間に巻き込まれるとか、
私はやりたくもない合唱コンクールの練習に全部でたけど、サボりにサボった人たちが本番で賞がとれなくてがっかりしてる姿とか
スカートがひざ丈だとか、
髪を染めようがやることやってれば問題ないと思うのに、髪を染めることを禁止されるとか、
政治家の汚職とか、
消費税が上がるとか、
フィギュアスケートの汚職で、私の大好きなアイスダンスのペアが一切表舞台に出なくなったこととか、
金メダルじゃないことをがっかりする日本の風潮とか

とにかく常に怒りがありました。

当時はそれを「反骨精神」とか「正義感」みたいにとらえていて、それが自分の「パワー」になると思っていました。

それこそが、自分の活動の源と信じて疑わなかったです。

ブログもどっちかっていうと、怒りを「正義」にして発散する場所として存在させていただきがします。
特に好きだからこそ怒る時、自分の中に結構大きなパワーがありました。

ある時「怒り」を通り越し、無関心になった

で、「怒り」を正義にした結果痛い目をみました。
大好きだった特撮について、当時どうしても許せないことがあり、論じまくった結果、お友達を失いました。
これはかなりの痛手でした。
「正義は我にあり」ぐらいのつもりで怒っていたわけで、それに対して「そんなあなたとはマイミクでいたくない」と長文のメッセージがきたり、「ファンじゃない」とコメントがきたりしました。

痛手を受けたあと数年も、特撮を追いかけ続けていました。
しかし、何か一言感想を書いたりすると、批判的なコメントをもらったりしました。
ある時映像の中で季節とそぐわない花が映っていたことを指摘しただけで「そんなつまらないところばかりみてるから、楽しめないんだ」と言われたときに、何かが終わりました。

積極的に見なくなったし、見ても感想をネットに書くようなことはなくなりました。
感想を書かないようになったら、どんどん興味関心を失って、無関心になりました。

正直今は、ウルトラも戦隊も、ライダーも何もみていません。
新シリーズがはじまろうが放映情報をチェックもしないし、昔なら論じそうな設定がネットで流れても心が動きません。
遠い世界です。だから何が起きても構わない。

特撮に対しての興味が薄れてからは、「怒りがおきそうなもの」には怒るより前に無関心になるようになりました。
例えば、「相棒」も大好きで長くシーズンを見ていましたが、キャストが少しずつ変わるにつれ、興味を失いました。好きな世界が削り取られていく痛みよりも、好きでいないほうが楽だったのです。
ここ数年は一度も見ていないですし、今回の引っ越しをきっかけにほぼすべてのグッズを売り払いました。

さらに感情が揺れ動きそうなものに対して、距離をおくようになった

舞台や小説、ドラマなどにふれなくなりました。

自分の心が、感動しそうなものなどに対してシャットダウンするようになったからです。

たまに見ても、劇中が盛り上がれば盛り上がるほど、頭の中で声がするのです。

「はいはい、こんな感じですすむのね」
「へ~なるほど、こういう展開でひねるのね」
「どうせ、こういう風になるんじゃないの?」
「ほらね、想定内。」
「なるほどね~こういう映像で見せるわけですか。」

昔なら集中して、物語の中にどっぷりとはいりこんで、キャラクターとシンクロして号泣したりとか当たり前でした。
でも今は、感情がぶれないようにもう一人の私が淡々と批評なのか、防御してくる。

感動系とか、ヒューマン系統のもので泣けない自分に最初はショックを受けたものの、最近は慣れてしまいました。

もう何かに感情移入する力を失ったのだと、あきらめました。

それでもまだ、「怒り」だけが残っている

こんなに無関心で、感情が揺れ動かないような自分が出来上がったのに、私の中にはまだ「怒り」があります。
しかも結構激しいものが。
対他人に対してもあるし、対自分に対しもある。

でも、その怒りはもうマグマみたいに自分を燃やしません。
ブリザードのように冷たく私を凍らせていきます。

怒りが原動力で動くことはもうありません。
ブリザードで凍らせたら、打ち砕いて、更地にするだけ。
関心を無かったことにして、また生きています。

こうやって何層も何層も更地にして、関東ローム層ばりに積み重なった心はどうなるのだろう。
書いていて悲しくなるけれど、それが今の私なんじゃないかと思います。

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この記事を書いた人

蒼(あおい)

蒼(あおい)

【灯台ブロガー】
●接客業を11年半やって、2018年5月31日で会社員を卒業しました!
●かつての私のように人生って暗闇だよねって思っている人に、灯台のように、北極星のように、そっと道を照らしてあげられる文章を書いて生きていきたい。

twitter:@yazumi_aoi

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