撮りためていた、女子のフィギュアスケートを見ていたらソファーで眠ってしまった。
雨音も激しく、眠るにはぴったりの夜だ。
AC/DCやビヨンセで踊ることの出来る時代なのが、なんだかとても嬉しい。
クラシックで優雅に滑るだけが、美しさじゃない。
躍動も美しさだ。
小さい頃、フィギュアスケートを見るのは好きではなかった。
当時はジャンプで転倒すれば終わり、という時代だったから、エキシビションだけを見るようにしていた。
失敗したら終わり、というのはとてつもない恐怖だった。
だって、私も一度の失敗に対して、もう二度とその過ちをすることは許されないぐらい、叩きのめされる家で育ったからだ。
ほんとに図形の回転とから立体を切断するのがわからなくてとった49点。
平均点も40点だったのに、復習しないお前が悪いと烈火のごとく怒られた。
ほんとにわからなくて、イメージもできなくて、なにがわからないかすらわからなかった。
わからなかろうが、なんとかして最低でも70点ぐらいとらないとこの家に居場所はない、という潜在的な恐怖が常にあった。
でも、今のフィギュアの採点は変わっていた。
転倒したり、手をついたことと、回転が足りていたかを切り分ける。
加点式の採点になったと、素人目には映って、前よりもフィギュアスケートを楽しんで見られるようになった。
だから、今期はぜんぶのスケーティングを楽しんで見られる。
メダルを目指す選手もいれば、
フリーに進むことを目指す選手もいる。
キスアンドクライの表情もそれぞれの目標に対してどうだったのか?というところを見られてうれしい。
私の人生の採点はどうだろう。
1ヶ月前までは減点方式だった。
なにかミスしたら、もうやり直せません、という宣告が採点ボードにのって、私はキスアンドクライで常に泣いて、怒っていた。
なんで減点するの?おかしいんじゃない?と採点方法に噛みつきながら、なぜ失敗したのか、なぜ満点を貰える演技ができなかったか、で常に自分を責めていた。
採点者はなんとなくの他人軸の評価。
責めれば責めるほど、キスアンドクライで泣いてばかりの人生だった。
今、私の人生は加点式だ。
ミスしたら、そのミスだけを減点する。
次回に向けて修正する。
修正はできる。
コンビネーションジャンプに失敗しても、プログラムの中でもう一度コンビネーションにできるか挑めばいい。
さっきのジャンプと今度のステップは別問題。
集中して挑もう。
仕事や人生も一緒。
失敗したと思ったら、切り替えて次。
原因の根は探るけど、感情は引きずらない。
一個の失敗で、自分のための時間は無駄にはならない。
だから、昔の私(失敗したら己の価値も居場所もなくなると思っていた)に言いたい。
数学で49点なんかで、あなたの価値は決まらない。
完璧にできない事を責めて、己を傷つける必要も無い。
苦手なもの、嫌いなものまで120%できるようにしようとして、やっぱりできない自分を責めなくていい。
49点をとったテスト以外は、7割以上できてた。
完璧にできなかったけど、いつも必死に頑張ったから、その姿勢をちゃんとみて私のことをしたってくれた人達はいた。
嫌いなもの苦手なものを得意として、協力してくれる人がいた。
正直、人生はフィギュアより美しくなくてもいい。泥臭くコツコツいけば、加点で積み重なっていく。
だから、大丈夫だといいたい。
いつか審査員は全部自分になるから。
親でも上司でも、友達でもない。
あなた自身が、自分に冷静な採点ができれば、、またきっと、次も自由に美しく滑ることが出来る。
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