広告

昨晩のW杯 ポーランド戦。
引き分け以上で突破の可能性という、「負けさえしなきゃいけるっしょ」という期待は淡く消えた。
試合結果は敗戦。
でも「負けてでもフェアプレーポイントで突破できる可能性にかける」というめったに見ることのない大博打をを見守ることになった。
大博打に勝ち、日本は決勝トーナメントに進出。
試合に負けて勝負に勝った。

しかし気持ちの整理ができるまで、もやもやがとまらなかった。
喜んでいいのかわからないし、いや、喜ぶべきなんだろうけれど、いや、でも。
私が見たかった試合はこういうことだったのか。
負けるかもしれないけれど、ゴールを狙ってほしかったという思いが消えなかった。

西野監督の采配は、本当に大きな賭けで、決勝トーナメント進出してもしなくても批判されることを覚悟した戦い方だった。
どんな結果になっても受け止めるし、このやり方が最善である、責任をとる!という姿勢。
考えれば考えるほど、西野監督のすごさを見せつけられた試合だったと思う。

でも、私は釈然としない。
この思いはどうして消えないのだろう。

頭ではわかっているのに、心はちっとも納得してくれない。

頭でわかっていることを3つ書いてみる

1、めったにないフェアプレーポイントでの勝敗のつけ方では、ベストだったと思う

グループリーグ3戦目になると、消化試合は存在する。
勝ち抜くことが決まっている、もしくは、8割方いけるだろうというときに。
そのチームが向くべき目線は「決勝トーナメントで勝つこと」だろう。
決勝トーナメントには「勝利」以外はありえない。
でもグループリーグはそうではない。
この試合が引き分けだとしても、いや、この試合が負けだとしても、次に進む可能性があるしくみなのだ。

W杯の1次リーグでの順位の決め方は以下だ。

1、全試合の勝ち点
2、試合の得失点差
3、総得点
4、当該チーム同士の対戦での勝ち点
5、当該チーム同士の対戦での得失点差
6、当該チーム同士の対戦での得点
7、フェアプレーポイント
8、抽選

フェアプレーポイントまで並ぶということは、本当に稀なことなのだろういうことがわかる。
普通6番目まで全部点数が同列なんてことは、ないだろう。
大体、3番目までで決まる。

だから本当に本当に、今回はぎりぎりのラインだったと思う。
警告のポイントが唯一の勝敗の分け方なんて。

相手にボールをとられること、とられそうになること、それだけでひっくり返ってしまうポイントだ。
だから、もう自陣でボールを回して時間を稼ぐ、というのがもっとも最善の策だ。
今回はポーランドも「1勝して帰るならいいだろう。」ということも功を奏した。
相手ももうボールをとりにこない。

FIFAがフェアプレーポイントを設定した意図は決してこういうことではないだろう。
でもシステム上、こういう勝ち方は「あり」だった。

2、「時間を稼いで、他会場の結果に賭ける」という覚悟は誰にでもできることではない

昨日の試合のやり方は、誰にでもできることではない。

そもそも当日スタメンを6人代えてきたこと。これだって相当の覚悟があるだろう。
調子の良いメンバーで、呼吸もあってきているメンバーの半分を変える。
しかも格下どころか、格上の相手に対して。
それだけで、もう試合前から大騒ぎだ。

引き分けに持っていこうとして、攻め続けるという選択ができただろう。
サポーターもそういう試合を観たかったと思う。
でも、結果的にもしも1次リーグ敗退となったら、批判をあびただろう。
当日のスタメンをなぜかえたんだ、なぜフォーメーションをかえてきたんだ、って。

昨日のような試合の運び方「セーフティーに試合時間を進める」ということを選ぶこと。
当然試合は面白くないし、セネガルとコロンビアの試合結果に完全に依存するような状態だ。
これは目の前の試合を放棄しているとも見えるし、ブーイングが飛び交っていた。
この試合運びを選んだ時点で、終了まで10分以上残っていた。
10分あれば、セネガルが得点を決める可能性だってあった。
その場合「なぜ責めなかったんだ!」と責められることは必至だ。
敗戦の将として、大バッシングをあびる可能性だってあった。

勝ち方にもこだわる!というプライドが邪魔したら決してできない。
相手チームの勝敗が変わらない、と読み切り、信じ切る冷静もいる。
そしてなによりも、どんな結果でも「自分の責任である」と受け入れるという姿勢がひしひしと伝わってきた。

そんな決断が自分にできるか?と問いかけて「できる!」という人はいないだろう。

3、西野監督は強者のやり方をした

西野監督が1次リーグの3戦目に、スタメンを6人変えてきた、ということ。
それは「1次リーグ突破では終わらない」という決意表明だ。
例えばだけれど、2002年のW杯だったらならば、日本チーム、日本国民の悲願は「1次リーグ突破」だった。
ならば、1次リーグ3戦目でも、スタメンは変えない。
試合の運び方次第では、後半に主力を下げる、という戦い方はしたかもしれない。

でも、日本の今の目標は「決勝トーナメントで勝つこと」だ。
だったら、主力を休ませなくてはならないだろう。
1次リーグを突破することを当たり前とする強豪チームならば、そういうことを当然してきている。

西野監督は「強者のやり方」をした、といえるのではないか。

心で思っていることを書いてみる ドラマが見たかった!!

あんな試合見たくなかった。
攻撃らしい攻撃をさせてもらえない試合だったら、まだいい。
勝っているから、ロスタイムにパス回しをする、というのもまだわかる。

でも、「カードをもらわないために」という試合なんて誰が望んでるんだ。
負けてもいい、というチームの試合を見て、何が楽しいんだ?
負けているなら、1点返そう!というのが勝負じゃないのか?

勝ち抜くための戦略だとしても、負けても突破できる可能性があるとしても。
負けを選ぶなんて、そんなこと考えもしなかった。

極論をいうと、負けてもいいから攻め続けてほしかった。
そういうサッカーが見たかった。
勝つことを放棄した試合なんて、試合じゃない。

つまんない、許せない!という思いが整理されなかった。

たぶん、私は「限りなくつまらない勝ち方での勝利」よりも「攻めて攻めて勝負した敗退」というドラマが見たかったのだと思う。

わかっている、無責任だということは。
勝手な一ファンのわがままだ。
なんの責任も追わないから言えることだと自覚もしている。

でも、「攻めをやめないサッカー」をみたかった。
そういうサッカーを貫いてほしかったのだ。

次も「勝利よりドラマを」を願うか、それとも「ドラマより勝利を」を願うか

私は次の試合にどんなことを求めているのだろう。
決勝トーナメントだから、もう勝ち以外はない。

私も決勝トーナメントになったら、「どういう勝ち方でも次に行ければいい」と思うのだろうか。
きっと思うだろう、1分1秒でも長く、日本戦を観たいと願う。

だとしたら、対ポーランド戦に対して私が心に抱えるわだかまりはいったいなんなんだろう。
1分1秒でも長く、日本を見られるための戦術をなぜ支持できないのだろう。

グループリーグだからか。
フェアプレーポイントという今まで知りえなかった勝敗の決し方だったからか。
それとも、私の勝手な価値観がわめいているのか。

私は次にどちらを望むのだろう、

「勝利よりドラマを?」
それとも
「ドラマより勝利を?」

このブログが気に入ったらいいね ! をお願いします。
更新情報をお知らせします。

Twitter で

広告

この記事を書いた人

蒼(あおい)

蒼(あおい)

【灯台ブロガー】
●接客業を11年半やって、2018年5月31日で会社員を卒業しました!
●かつての私のように人生って暗闇だよねって思っている人に、灯台のように、北極星のように、そっと道を照らしてあげられる文章を書いて生きていきたい。

twitter:@yazumi_aoi

広告