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最近、才能研究家やぎぺーさんのストレングスファインダーに関する記事を読んでいる。

やぎぺーさんの会社がリリースしているメディア▼

ストレングスファインダーの特性の比較であったり、言いそうな口癖だったりと最近どんどん記事にしてくださっている。
そういうのを見るたびに思うのだ。

もしこのことを知っていたら、過去のいろんなことが変わっただろうか。

私がちゃんと「お互いが違う人間だ」とわかっていたらどうだったかな、って思うのだ。
相手も必ず同じことを考えるはず、って信じすぎていなかったら。
「~たら」とか「~れば」をいくら考えても仕方ないのだけれど、少しだけ後悔する。

今回の記事は、自分コンパスのこの記事を参照しながら書いた▼

私が理解できなかった人たち

「とりあえずやってみればいい」という上司は敵だった

お店にいるとキャンペーンだったり、新商品だったりといろんなことがある。
そうなるとキッチンの配置を変えたり、スタッフにやり方を周知したりする必要がある。
そういう事前準備をちゃんとやって、困らないようにするのが当たり前だと思っていた。

ところが、何にもやらないでスタートしようとする人がいる。
「やってみてできなかったら考えればいいじゃん。」というのだ。

そういう人間に対して私は猛烈に怒って、「やらないとみんなが困るでしょ!!」って理解に苦しむ!!って思っていた。
「誰かが困る」ということはあってはならないと思っていたのだ。
スタッフが困るだけではなく、お金をもらうお客さんに対してミスがあっては困るのだ。

なんて無責任なやつ!!と思った。
そういう人間が上司だと、完全に敵視していた。

でも、ストレングスファインダーを知ると・・単に性質の違いなのだ。
たぶん、上司は「ポジティブ」という性質を持っていたのだ。
「ポジティブ」という人は、「問題起きても、死なないから平気!」っていうタイプの人だったのだ。
対して私は「慎重さ」という資質が高い。「問題が起きないようにすべての準備を用意周到に」というタイプだ。

考えがあうはずもない。

そこら辺を理解して、線引きするなり、「大枠だけ決めてあとは、相談していこう」みたいな人間関係が築けるのがよかったのだろう。
でも、私は相手を敵視していたし、向こうも「年上で異性の部下」という扱いを面倒に思っていたから、溝は深かった。

あまりに考えが突飛すぎるアルバイトを畏怖していた

昔、アルバイトの子に誰もの想像の斜め上をいくような解決策を提示してくる子がいた。
頭のいい子だし、ナンバーワンをどん欲に目指してくる子だった。
斜め上すぎる解決策は、かなりスキルを要することであり誰もができるわけでもなかったり、マニュアルを無視しているところもあった。
私には到底ない発想の豊かさであったり、アイデアのすごさに舌を巻いていた。

そのせいか、彼に何かを質問したりされると恐怖を感じることがあった。
恐怖というより、理解できない畏怖ともいうのだろうか。
すごいと尊敬できるアルバイトの子だし、ストイックな仕事の仕方を誰よりも高く評価していたが、怖かった。
「お前の方がレベルが下だろ?」って見られるんじゃないか、と思っていたのだ。

たぶん彼は「着想」の資質が高かったのだと思う。「非現実的だろうがなんだろうか解決してやろう!」という発想だったのだろう。
対して私は「調和性」の資質が高い。「誰もができるレベル、誰もが納得できる解決策」を出すことを優先した。

あまりにも私と正反対だったけれど、お互いの仕事の仕方は評価しあっていたと思う。
私は「彼にだけは恥ずかしくない仕事の仕方をしよう」というのが、最後の頃のモチベーションになっていた。

私が退職するときに、ほとんど入ってもいなかった深夜のシフトに入って、きちんとお別れをいってくれたことは、私にとっては大きな財産だった。きちんと私を認めてくれていた。

でも、もしも「もっと彼の資質を理解して、仕事を任せることができたなら」と思うと後悔は残る。

自分よりも高いレベルに人を育てることはできない、ということを痛感させられたのが彼だった。

論理だけで生きる人のことが理解できない

仕事においては数字がすべてだ、といわれたことがある。
感情なんて仕事に入らない、全てロジカルにと。
「私は人に喜んでもらえるから接客をしている」ということを感情的と切り捨てられたことがある。
自分の仕事の価値観を切って捨てられたことは、私のその人への信頼を大きく失わせた。

全ての仕事を「相手を負かす、相手に勝つ」を念頭に置いてプランニングしている人も苦手だ。
所詮その人がどれほど口で「みんなのことを考えている」といったところで「所詮私はお前の駒のひとつだろ?」と思った。

たぶんそういう人は「戦略性」であったり「分析思考」や「競争性」を存分に発揮していたのだと思う。
論理がすべてで、真実は客観的なものにしか存在しない世界の人だ。
対して私は「共感性」であったり「運命思考」が強い。感情がすべてだし、真実は心の中にある主観的なものだと思う。
誰かを打ち負かしたいなんて「調和性」の私からすると、「信念」に反することがない限り起こりえない。

私はその人たちからすると「異世界の人」だったのだろうと思う。
実際に「一度も理解しあえなかった」といわれたこともあるし、理解しなかった私を屈服させようとする行動をとられたこともある。
それだけ相手から見ても、私の存在は脅威だったのだろう。

今思うと、もうお互い別の世界に住んでいると思って、あきらめてしまってもよかったような気がする。

今、あの頃に戻ったらうまくやれるだろうか?

ストレングスファインダーに興味を持って、いろいろ深めている今。
あの頃にタイムマシンで戻れたら、いやタイムリープで意識だけでも戻ることができたら。
私は別のやり方ができるだろうか。

この人は私と全然違う考え方をする人だ、と知っていたら、溝が崖になるまで対立しただろうか。
斜め上の解決策を出してくる子に「あなたの考えはすごいと思う。でもみんなができるようにしたいから。」と伝えられただろうか。
客観至上主義の人と、主観至上主義の私だと、早くに気付けていたら回り道しなかっただろうか。

別のやり方ができるかどうかは、確かめようがない。
過去の後悔は未来に持っていくしかない。
次の同じような出会いの時に、一呼吸おいて相手と自分が「違う」と思えるように。
私は今日も人間を知ろうとするのだ。

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この記事を書いた人

蒼(あおい)

蒼(あおい)

【灯台ブロガー】
●接客業を11年半やって、2018年5月31日で会社員を卒業しました!
●かつての私のように人生って暗闇だよねって思っている人に、灯台のように、北極星のように、そっと道を照らしてあげられる文章を書いて生きていきたい。

twitter:@yazumi_aoi

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