益田ミリさんの作品は大好きだ。
素朴な絵の奥に、なんかドキッとするような言葉が眠っている。
それに出会いたくて、新刊がでると買ってしまう。
今回の「マリコ、うまくいくよ」は3人のマリコがでてくる。
社会人2年目、社会人12年目、社会人20年目の3人のマリコ。
同じ場面がちょっとずつ重なりながら、それぞれの視点で描かれる。
お互いがお互いを煙たがりつつ、自分の立場にため息つく。
そう、私は益田ミリさんが描く、その悟ったような冷めたような、その「ため息」が好きなんだと思う。
でも、今回は「マリコたち」にちょっとだけ共感できなかった。
益田ミリさんのキャラクターで「あれ、そんなに共感できない」と思ったのは初めてだった。
私が会社員じゃないからかなぁ。
3人のマリコは常に観察している。
同期のあの人は出世するが、あの人は出世しないなぁ~とか。
自分が若いといわれるのは、あと何年までかな~と値踏みしたり。
女だと関係ないなぁと思っていた出世街道に、選ばれた女性についても自分と比較してみたり。
そういう比較をしながら、比較をした自分にため息ついたりしている。
どのマリコもそれぞれの立場で、会社を観察している。
女同士だからだろうか、マリコたちはお互いを特にすごくシビアに見ている。
「ババア」と心の中でののしってみたり。
「世代ってくくらないでよね」とたわいのない発言にイライラしてみたり。
「あんなふうになりたくないわ」と思いながら「いつか、自分もあぁなるんでしょう」って上の世代をみたり、
逆に「あぁいう時代もあったけど、若さだけが売りの時代には戻りたくないいわ。」って下の世代をみたり。
3人のマリコは自分にため息をついている
3人のマリコは、自分にもすごくシビアだ。
会議で発言できない自分、そのことを同期の子とお昼を食べながら、どこかで「自分は負けたくないと思ってて最悪だわ」と思っている。
後輩が会議で発言できないことを悩んでいると、かつての自分の経験で知っているけれど、安易に優しい励ましの言葉をかけない。
「自分が好かれたいだけ」と分析している。
働きながら、自分の行動一つ一つを分析している。
それを仕事をしながら、息抜きにトイレに行きながら、ふっと空を見上げながら、ため息をついている。
ただ、「受け入れるしかない」と思って、今日も働いているのだ。
私はマリコがわからない
私は今年34歳。
社会人歴的には、社会人12年目のマリコに近い。
社会人2年目のマリコのこともわかっているだろう。
若い子たちとばかり働いていたから、社会人20年目のマリコのこともわかる気がした。
ところが、いまひとつピンと分からなかった。
大きな会社で働いたことがないからだろうか。
事務職をやったことがないからだろうか。
会社の中で立ち位置を考えたことも実はない。
「30歳を過ぎて、独身とか女として終わってる」とか面と向かってセクハラ発言をされたこともあった。
でも、別に大きな組織の中で働いている実感を得たことがないので、その小さな店の中にいたら感じなかった。
そう、私は所属意識がなかった。
3社働いてきたけれど、どこにも「わたしはここで生きるのだ」と思いを抱いたことがなかった。
「私たちは」と会社の中で自分を誰かとひとくくりにすることもあまりなかった。
私と会社は同質だと思ったことがなくて、常に相対するもの、というイメージだった。
3人のマリコはどこかで「この会社で定年まで生きていくのだろう」と思っている節がある。
そこがきっと、私の分からないところなのかもしれない。
3人のマリコは社会人になったことをこう表現する。
「登ってきた山の向こう側にあった景色は、のっぺりとした平地だった」
でもさ、マリコよ。
平地だっとしても、そこから山を見つけるのは、自分たちなんだぜ。
平地を歩いて行って見つける未来もあると思う。
でも、別に平地を淡々と歩く未来じゃなくてもいいんだよ。
というわけで、マリコよ、私は平地をやめて勝手に山あり崖ありの人生を行く。