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自分で自分を褒められなかったとしたら、あなたは自分がどうなると思いますか?

自分で自分を褒めるなんて、バカバカしい。
何を褒めることがある、そんなことしても無駄だ!
と思ったのなら、一度考えてみてほしい。

誰かに褒められていないあなたに、存在価値はあるのか?と。

自分で自分を褒められなかったとしたら、他人視点でしか自分を見ることができないだろう。
心の中で自分を常に断罪し続ける裁判を開いているような、そんな状態になるだろう。

あなたはいつまでも、ずっと自分の欠損部分を見つめていていく。
きっと自分の存在価値をなくしてしまうだろう。

あなたの心は誰が守りますか?

「褒める」より「褒められる」

褒める。
どんなイメージをするだろう。

褒める、というより「褒められる」という受け身の表現のほうがしっくりくるかもしれない。

親から褒められる。
先生から褒められる。
先輩から褒められる。
上司から褒められる。

誰かに自分を褒めてもらえることの喜びは大きい。
気持ちが満たされる。

誰かの視線でしか、自分を見つめられなくなる

誰かに褒めてもらえるから、またがんばる。
そのことを追い求めてはじめるようになる。

そうなると、だんだん自分を見つめる視線が、誰かにうつっていく。
あの人が喜んでくれる自分であるかどうか、
あの人が認めてくれる自分であるかどうか、
そんなまなざしでしか自分を見られなくなる。

「褒められないと意味のない自分」、「認められないと存在価値のない自分」になってしまう。

自分で自分を苦しめていくようになる

相手に喜んでもらえるような自分でなければ、価値がない。
そういう自分を作り上げると、とてもつらい。

誰かがいてくれないと、自分を見つけられなくなるからだ。
褒めてくれる人がいないと、人はどうするか。
比較対象を作る。

自分が上にくるように作るかもしれない。
そうすると、相手を知らず知らず見下すようになる。

反対に、自分が下にくるように作るかもしれない。
そうすると、自分を知らず知らず貶めるような考え方をするようになる。

苦しい自分を作り上げてしまったら、なかなかそこから脱出できない。

他人視点の自分が存在しているからだ。
「朝早く起きられた」ても、「そんなの(他の人にとっては)普通だ」という思う。
「仕事を早く片づけることができた」と思っても「他の人は自分よりもっとできている」と自分を追い込む。

何か一つできないことがあると、それ以外のできたことになんか目もくれずに「お前は何もできていない!」と断罪することもある。
自分で自分を裁く時は、弁護士はいない断罪裁判になりがちだ。

あなたの心は誰が守りますか?

自分で自分を断罪するようになったら。
心がいっぱい血を流すだろう。
そのうち、血を流していることすら感じなくなってしまう。
そうすると、痛みを感じない代わりに、喜びも感じなくなる。

あなたの心は誰が守りますか?

誰かあなたの心を守ってくれると思いますか?
「そんなに自分を傷つけないで!」ってある日誰かが自分の心の裁判所で弁護してくれますか?

あなたの心は誰が守りますか?

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この記事を書いた人

蒼(あおい)

蒼(あおい)

【灯台ブロガー】
●接客業を11年半やって、2018年5月31日で会社員を卒業しました!
●かつての私のように人生って暗闇だよねって思っている人に、灯台のように、北極星のように、そっと道を照らしてあげられる文章を書いて生きていきたい。

twitter:@yazumi_aoi

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