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仮面ライダージオウがもう、来週から始まるらしい。
平成最後のライダーは、また、平成の歴代のライダーに変身するらしい。
「らしい」と書くぐらい、前情報を仕入れなくなった。
私にとって、特撮はもう過去の存在になりつつあるらしい。

特撮の世界は時代とともに変わっていて、私はその変化を受け入れることができなかった。
今は淡々とそう思う。

「創造は破壊からしか生まれません」とは『仮面ライダーディケイド』のセリフだ。
当時、そのセリフを聞いたときは「よくいうよなぁ」としか苦笑しかしなかった。

でも、時代はどんどん「破壊から新たな創造が生まれていく。」

戦隊は人数という枠を打ち破ってきた。
「ゴーオンジャー」は7人だったし、「キョウリュウジャー」はレギュラーではないにせよ、全員変身したら9人だ。
そしてとうとう「キュウレンジャー」とタイトルに人数を銘打ったシリーズがはじまった。
しかしそれも「キュウレンジャー」といいつつ、結局総勢何名になって終わったんだったか。
今年はとうとう「vs」という概念を本シリーズに持ち込んできた。
「ハリケンジャー」のように立ち位置が違うが、5人で戦うこともある、というような設定ではない。
泥棒vs警察だもの。

その昔、ウルトラマンは「すべてをそぎ落とした美と強さ」という位置づけだったように思う。
顔は仏像のように、アルカイックスマイルを浮かべているのは、今も昔も変わらない。
でも、彼らは武器を持っている。
昔も持ってはいたけれど、今は変身アイテムが腕に装着されるようになった。
そぎ落とされた美しさは、破壊された。

仮面ライダーの世界は、アイテム祭りだ。
もはやアイテム祭りが鉄板だ。
たくさんのアイテムを組み合わせて使っていくことが、戦いのキーポイントになっている気がしてならない。
シリーズが終わるまで、どれほどのアイテムや、形態が生まれるのか。
ライダーキックのシンプルな強さは、もうどこかへいってしまった。

昔はこの変化を「玩具を売るためのシステムだろ?」と思って、恨みを募らせていた。
そうやって作品世界に、侵食してくるのは許されない事のはずだ、と。
年々「らしさ」が失われていくような気がして、私はテレビで見ることのできる特撮から身を引いた。
望まぬものを、歯噛みしながら見る必要はないと気づくまで、長い時間がかかった。
憎むだけ憎むことに疲れてしまうまで、私は続けた。

そうやって「本来の存在」の破壊を続けながらも、不思議なほど戦隊も、ウルトラも、ライダーも、どんどん過去とつながっていく。
過去の戦隊の力を自由自在に使う「ゴーカイジャー」
「力をお借りします」といって、ウルトラマンの力を掛け合わせる「オーブ」
平成のライダーになって戦える、「ディケイド」。

違う時間軸と時間軸をつなげて一つの世界にする、ことは当たり前になりつつくる。
最近では、戦隊、ライダー、メタルヒーローものまで世界を一つにしている。
アベンジャーズ戦略だ。

なぜなのだろう。
進化するために、シリーズを続けていくために、「破壊」を選んでいるのに。
それの贖罪でもあるかのように、過去と世界を一つにしようとしている。

最後の意地なのか。
それともただの「レンタルや配信」で過去の作品に自由自在に触れられる環境を生かす戦略であるだけなのか。
世界的な「アベンジャーズ戦略」に乗っているだけか?

私にはまだわからない。

「仮面ライダージオウ」は私に何を思わせてくれるだろうか。
また憎しみと失望を抱かせるだろうか。
それとも、ディケイドが破壊した上に積みあがった「創造」の集大成を見せてくれるだろうか。

答えは、来週の日曜日、2018年9月2日になってみないとわからない。
1週間後を私は恐れながら、待っている。

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この記事を書いた人

蒼(あおい)

蒼(あおい)

【灯台ブロガー】
●接客業を11年半やって、2018年5月31日で会社員を卒業しました!
●かつての私のように人生って暗闇だよねって思っている人に、灯台のように、北極星のように、そっと道を照らしてあげられる文章を書いて生きていきたい。

twitter:@yazumi_aoi

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