「好きなの?ブログ書くの。」
と質問されて答えにつまってしまった。
今日は憧れの人と、ZOOMでお話を聞いてもらう時間があり、その時にいただいた質問だった。
その質問には「好きです!」と答えたのだけれど、間が3秒以上あいてしまった。
この感情は好きというのだろうか?と終わった後も、考え込んでしまった。
好きとか、嫌いとか、そういう感情があったっけ?と思ってしまったのだ。
書ける時もあれば、書けない時もある。
それだけで。
書くことに、好きとか嫌いとか、という感情はないな~と思う。
ただ、当たり前に書き続けることができる、というぐらいだ。
「何か語らないと、きっと後悔する」
というのが、ブログの座右の銘みたいなもんだからである。
「何か語らないと、きっと後悔する」という思いは何も変わらない
このブログの前身の前身、私が大学生の頃始めたブログのサブタイトルが「何か語らないと、きっと後悔する」というものだった。
自作していたホームページの日記の続きだったから、「蒼の徒然」というタイトルだったのだが、どうも地味だったし、他にも重なるタイトルがいっぱいあった。
もうすぐサービスが終了してしまう、はてなDiaryが私の最初のブログだった。
ブログをアメブロに移しても、タイトルは変えなかった。
このブログも最初は同じタイトルで、そして今年に入って「心の灯台」とタイトルを変えた。
でも、肝の部分は変わっていない。
「何か語らないと、きっと後悔する」
何者でもなかった大学生時代から今まで、私はずっと「後悔」したくなくて書いてきた。
思っていることを世界に発信しないことに、後悔したくない。
それは何も変わらない。
でも、「ブログ」は時々苦痛だ。
「ブログとはメディアである」と知ってしまってから、私はちょっとブログへの向き合い方が変わってしまった。
メディアは読まれることに意味があるので、読まれなかったら存在に意味がないんじゃないか。
そう思いだしたら、読まれるものを書こうとしてしまった。
それは、ちょっと苦痛だった。
一生懸命、構成を考えて考えたりしていたんだけれど。
それが苦痛で、書けなくなってしまう。
今日みたいに思ったことを書くのは、すらすらと書ける。
何も考えなくても、すらすらと。
頭の中で思ったことを文章に出来なかった、ということはそうそうない。
(よほど言葉を選んで書かないといけない仕事のメールとぐらいか。)
しかしどれほどすらすらかけたとしても。
人の日記は読まれることはないだろう。
そういう苦いものを、ちょっと噛みしめながら最近書いている。
でも、苦痛なのと嫌いなのはイコールではない。
書くことに、好きとか嫌いとか、という感情はない。
冒頭に書いた通り、今日自分で聞かれて答えられないことにびっくりした。
「好きなの?ブログ書くの。」という質問にだ。
もう好きとか嫌いとか、そういう感情はない。
気持ちを書くことは当たり前のことだ。
歯を磨くのと一緒。
ご飯を一食抜くのと、1日気持ちを文章にするな、といわれてどっちが辛いかといわれると、
後者だよな、と思う。
SNSをOFFにする日もあるけれど、ブログやノートに書くことはやめられない。
もう当たり前なんだよなぁ・・・。
これ以上に「当たり前」なんてものはない
ブログ以外に、歯を磨くのと同じくらい当たり前に毎日やっていることは何か?
こうなってくると、お風呂に入る、寝る、ぐらいしかない。
他の活動で、それぐらいのものがあるか?と聞かれるとない。
文章を書くこと以外に、人生で続けられているものはない。
ピアノは高校3年生でやめてしまったし、大好きだったカラオケも、今はいかなくても問題ない。
大学生までは本の虫だったけれど、今は読まなくても問題ないぐらい。
これだけ当たり前になると、もはや「好き」とか「嫌い」とかじゃないんだなぁ~。
はじめた時につけたブログのサブタイトルは、今もこのブログの影のテーマだ。
「何か語らないと、きっと後悔する」
いや、ブログの座右の銘みたいなもんだ。
今迷っていることがあるとしたら・・・
武器として生きていけるだろうか。
それとも生きていけないんだろうか。
ただ、それだけなのかもしれない。