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最近、ようやく明確に言葉にすることができたことがある。

「ブログの内容がどれほど面白くても、信頼するかしないかは別の問題だ」

ってこと。

そのブログが悪いとか、私の受け取り方が悪いとか、そういうことではなくて。
自分がそういう風に考えているんだなぁ~ということを思った。

私は信頼される書き手でありたい。

軽妙なブログは読みやすい

軽妙な文体のブログは、非常に読みやすい。
例えば吹き出しのやりとりで、導入されていたり。

「文章の多いブログは圧迫感があって、読みにくい」
「適度に写真やイラストを入れる」

ということは、よくいわれる。
読み手としては、確かに「なるほど話のテンポがいいなぁ~」と思う。

図やイラストが入ると、話の区切りも見やすい。
最後にちゃんとまとめがつけられていて、「読ませる文章ってそういうことなんか!」っていつも思う。

軽妙なブログは、私にとっては「営業トーク」と同じ感じ

一歩で私は軽妙なブログを「営業トーク」をされているような気分になり、居心地の悪さを感じる。
すらすらと語られているんだけれど、本音が見えないというときの気分だ。

携帯ショップで機種変更をするときに、「こちらのオプションをつけていただきますと~」みたいな説明をされるとき。
洋服屋さんでいいなぁ~と手に取って3秒で「よかったらご試着くださいね~、色違いもありまして!」とこられるとき。

その人が本当にどう思っているかどうかはともかくとして、のトーク。

こういう時私は、「あれでしょ、ノルマとかでしょ?」って気持ちがザーッと引いてしまって秒速で断ってしまう。

軽妙なブログにも近い感覚を覚えてしまう。
読みやすい、わかりやすい、ノリがいい、けれど・・・。

そこに書き手が見えてこない。

書き手が見えないブログを信頼できない

読みやすくてわかりやすい情報が書かれていても、その先から物を買おう、と私は思えない。
その読みやすさ、わかりやすさ、が故に、「営業トーク」なんじゃないかと思うのだ。
読みやすくて、わかりやすい、けれど、そこに書き手が全然見えない。

特にエンターテインメントに関して、私はこの傾向がある。

ある映画の感想記事を読んでいたときのこと。
観ようか観まいか迷っていた作品で、感想を読む限り面白そうな映画だった。
でも最後の1/3が「映画をお得に見たかったら、このクレジットカードがおすすめ!」っていう項目だった。
いかにお得か!と書いてあって、「申し込みはこちら!」と見た時に、映画自体への興味も失った。
映画への感想よりも、クレジットカードがお得のほうが強烈に押されていたからだ。

すごく興味のある本が紹介されていても、その紹介がアフィリエイト記事の「まとめ」ぐらいの一にちょろっと紹介されていたりすると、「公開作と関係あるからでしょ?」と思って冷めてしまったり。

心を動かされるはずのものに、突然「営業トーク」が飛び込んできた瞬間に、私は「嘘」と感じてしまうみたいなのだ。

文章の書き方、物を売るための営業ライティングとしては、素晴らしく勉強になる。
でも、「信頼」はできないな、といつも思う。

書き手が見えないブログを、私は信頼できない。

ブログの内容がどれほど面白くても、信頼するかしないかは別の問題だ

軽妙なブログが悪いわけでもなく、面白いな~と思いながら読んでいることが多い。
でも、その「面白いな~」ということと「信頼できるな~」ということが、自分の中では別の問題であるということだけ。

別にアフィリエイト記事だからとか、商品のリンクがはってあるとかが基準ではない。
お店の紹介や、商品の紹介が多いブログの中でも、書き手の思いが見えるブログは好きで、よく読んでいる。

書き手が見えないブログを、私は信頼できない。
ただそれだけだ。

だから、私は自分の感情が動いたものしか、ブログにはしないと決めている。
映画やドラマを読み、本も読むけれど、気持ちが動いたものしか紹介しない。
サービスも自分が使って素晴らしいなぁ~と思ったら紹介する。

そういうスタンスを崩したくない。

それが私のブログ、ということでいい気がする。

「ブログの内容がどれほど面白くても、信頼するかしないかは別の問題だ」

書き手として、信頼されるブログでありたい。

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この記事を書いた人

蒼(あおい)

蒼(あおい)

【灯台ブロガー】
●接客業を11年半やって、2018年5月31日で会社員を卒業しました!
●かつての私のように人生って暗闇だよねって思っている人に、灯台のように、北極星のように、そっと道を照らしてあげられる文章を書いて生きていきたい。

twitter:@yazumi_aoi

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