時々、何も書くことがなくなってしまう。
いや、書くことはあるんだが、言葉や思いにまとまりがない。
昨日は3本書いておいて、2本がお蔵入りである。
1つは2時間ドラマの記事で、1つは「日本語しゃべれるから日本人?」という内容の記事だった。
どちらもなにか、どっちつかずのままになってしまって終わってしまった。
ものを書くことが好きだ。
人に読んでもらうとか読んでもらわないとかはおいておいて、書くことが好きだ。
その私がかけなくなった瞬間に、自分が空っぽになってしまったようで焦る。
誰のためでもないはずの、自分の心の声が行き先を見失っている。
私よ。
お前は何を語りたかったのか。
誰かに何かを伝えたくて書いている日もある。
誰にも何も伝わらなくても構わない日もある
でも、毎日書いていることができれば、「私は私である」と思える。
じゃあ、書けなくなったら、私は私でなくなるのか?
私じゃなくなったら、私はどうなるのだろう。
中二病みたいな悩みだとわかっていても、思考や感情が言葉に乗っていかないと不安だ。
書いてこその私。
それでこその私。
揺るぎない私。
ある日このことすら愛せなくなったりするんだろうか。
アイデンティティーだ!と言い切るぐらい愛するものを、愛せなくなったあの日を。
私はもう二度と繰り返したくない。
繰り返すものか、と思うと執着しているから、逆に失ってしまう気がする。
私はあのとき、執着して執着して、憎んでしまった。
だからもう、もうあの頃のように愛せない。