何年かぶりに、昨日相方に「別れたほうがいいかな?」と聞いた。
きっかけは、両親と連絡を取らなくてはいけなかったことだ。
そのことは、昨日ブログに書いたので、割愛する。
私は昨日、入社のための書類を保証人として親族に書いてもらわなくてはいけなくて、父にメールすることになった。
想定していたとおり、父は狂喜乱舞。母も同じようだと喜んでいると連絡がきた。
その時点で私は猛烈にイライラしていた。
ダメ押しが、うちの弟からも「よかったですね、おめでとうございます」と連絡がきて、プツンと糸がきれた。
そうじゃねぇ、なんもわかってねぇ、うちの家族。
5月に両親と不毛な戦いを繰り広げたことが、まざまざと蘇ってきた。
未だに忘れることのできない、屈辱的な思い出だ。
絶対にあの屈辱は忘れない。
家族だから、両親に譲ってやろう、と自分を騙して信念を曲げたことを、私は生涯忘れない。
二度とあのような思いはしない。
してなるものか。
相方は怒り狂う私の話を聞きながら、ポツリと一言いった。
「・・・俺は両家に祝福されたいんだけどなぁ・・・」
沸騰していた血の気に、冷水がはいったみたいに、今度は体が一気に冷たくなった。
「蒼のご両親がいるから、蒼がいるわけで。俺はそのへんは感謝したいんだけど。」
相方はご両親ともうまくいっていて、誕生日には連絡をし、こちらではなかなか手に入らない九州醤油を送ってもらったりしている。
長男なのに、変なプレッシャーはまったくなくて。
私から見たら、自由にのびのびと育った感じがしてうらやましいのだ。
相方は「もし今日親が倒れたら、すぐにでも実家に帰る」とさらっといえるぐらい、ご両親が好きなのだ。
5月に相方は親に挨拶にやってきた。
そして眼前で険悪な親と私の間で努めて穏やかに、接していた。
言葉は忘れてしまったけれど、身元を確認するもの(なんか昔は提出するんだと親入った)の代わりに、生まれ、親のこと、学歴、職歴などを根掘り葉掘り聞かれても、真面目に答えてくれた。
うちの父親がだしてきた2002年の新聞記事「老後にこれぐらいの資金がないと生きていけない」的なものを手渡されても、なにもいわなかった。
相方は優しいのだと思う。
平和主義者だし、自分の家族と同様に、私の家族とも円満に関係を築きたいのだと思う。
だが、それは無理だ。
私は「なんなら電話番号でも変えて、一切連絡とりたくない」ぐらい親と関わりたくない。
今後、相方と家族になっても、自分の両親と付き合いをしたくないのだ。
向こうの親御さんとはそれほどの付き合いはないが、よい方たちで私は好きだ。
だから向こうの親御さんとは、お付き合いできたらいいなぁと思っている。
結婚は家族が増えること、そういう言葉がある。
でも私にとって、結婚はお互いの話であって、家族とか正直どうでもいい。
「一緒に住んでいたって、入院するときの保証人にすらなれないのよ」という意味わかんない理由で母親に同棲を反対されたが、
入院するときの保証人になってほしくて、結婚するわけではない。
親の倫理、論理を、子供に押し付けること、その一線を越えることに対して無頓着であることを私は憎む。
そのことに気づいていない、両親が私は大嫌いだ。
だから。
相方の願いは叶えることができない。
どれほど「両家に祝福されて」と願われても、そもそも両親を、相手の両親に紹介したくない。
あわせたくない。
関わってほしくない。
「円満に」ということは「仲良く」しないといけないのだろうけれど、無理だ。
相方にとっての「家族」と私にとっての「家族」の考えはずれているんじゃないだろうか。
そもそもずれていたら、今後一緒に暮らすことなんて難しいんじゃないだろうか。
そんな気がした。
私は相方と家族になれればよい。
相方の考える家族はもっと広いのだ。
「・・・別れたほうがいいかな?」
と口にしたのはそういう理由なのだ。
相方は「別に親が嫌いなのは知ってるし、別に無理に仲良くしてくれといったわけではない」といって、即座に拒否したけれど。
でも、私は少し考えている。
もう長く付き合ってきているけれど、家族になるところまでは進んでいかない。
それは根本でこういう価値観が違うからではないのか、と。
だから私達は、結局今も、別々に住んでいるんじゃないかと。