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「久しぶりに仮面ライダーを追いかけてみることにしました」

とブログを書いて、すでに2話目3話目で挫折しかけました。

相方に「ジオウみないの?」っていわれてようやく鑑賞。

あれですね、平成ライダーディケイド以降1本も見たことがないので・・刺さらないですね。

知ってました。
刺さるわけがないことを。

刺さるって、思いとか知識があって初めて起きる化学反応ですから。

思いと知識がないストーリーに刺さらないまま、4話まで過ぎていきそうです。

しかし・・相変わらず主題歌がかっこいい・・・。

2話感想 ディケイドの「破壊」の違いが浮き彫りになる

ディケイドが「世界の破壊者」といわれながらも、それぞれのライダーの世界(本家とは違う)を守っていったのとは対象的な世界だということがわかりました。

ジオウは力を得るたびに「ライダーたちからライダーだった」ということを奪い取っていく。
奪い取っていく、というのは語弊があるかもしれないけれどね。

きっとライダーになる、というソウゴの言葉は予言になるのかなぁ。

ディケイドは「本家のストーリーを設定はそのままにあえて世界をずらして描く」というような挑戦をしていました。
本家のストーリーへ別の世界をつきつけて塗り替えていく「破壊」だった、と私は解釈しています。
(本家のゲストもありましたが、キャラクターとしてそのままだったとはいえません)

ジオウの「破壊」はライダー自体の存在を消していくこと。
「物語自体」がなくなっていくとしたら、1年書けてどうなっていくのかは、見守るおもしろさはあります。

3話感想 ライダーの力を与えても、普通の人は「ライダーになれない」というところに感じる悲哀

タイムジャッカーの目的が未だに読めません。
ライダーの力を誰かに与えることができるのもわからないし、王の候補を擁立することで何を目指しているのかわからない。

例えばツクヨミとゲイツが、「新しい王の候補を探す」というのはわかります。
ジオウによる世界の破壊をなかったことにする、というやつですね。
ターミネーターとかと同じ原理だから、わかりやすい。

でも、彼らの目的がよくわからない。
ライダーの力だけを人に与えて「王の候補を擁立する」それで歴史を変えてどこに行くのだろう。
そもそもライダーを王にすることに、どれほどの意味があるんだろう??

そしてライダーの力を与えても、普通の人は「ライダーになれない」というところに悲哀を感じる。
イーヴィルティガのよう。
どれほど資格があると思っても(今回はそんなことを思ってない人ばかりがらいだーにされているけれど)、運命に選ばれないとヒーローになれないってことを、暗に表しているよう。

タイムジャッカーも所詮「人」という気がしてしまう。
それが限界なんじゃないか。

神崎士郎に選ばれたライダーが、偶然「ライダーになる!」と決意した城戸真司にどうしても勝てないように。
天才でウルトラマンになれるDNAを持っていると確信し、体も鍛えたマサキケイゴが力のせいで少気を失い、なんかよくわからんけど「あなたは光であり人である」といわれてティガになっちゃったダイゴに勝てないように。

天才と呼ばれながら努力を積み重ねて花開いた流川楓と、晴子さんに惚れただけで夏までに急成長しちゃう桜木花道のように。

ジオウではなんかしみじみとまた、そこに突きつけられてしまうなぁ・・・。

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この記事を書いた人

蒼(あおい)

蒼(あおい)

【灯台ブロガー】
●接客業を11年半やって、2018年5月31日で会社員を卒業しました!
●かつての私のように人生って暗闇だよねって思っている人に、灯台のように、北極星のように、そっと道を照らしてあげられる文章を書いて生きていきたい。

twitter:@yazumi_aoi

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