最近の楽しみは、Amazonプライムをフル活用である。
エブリデイ、エブリタイム、スーパーヒーロータイム。
誰かの涙、誰かの死
心の痛みも、消せない過去も、
託された願いも、時間の中の思い出も、
毎日、何かしらの笑顔と、幸せで締めくくられる。
これが自分の人生と一度も交錯しない、ということに幸せを感じているんだろうか。
物語の内側に生きることができた私
3歳で光戦隊マスクマンと出会ってから、私は特撮が好きだ。
好きだからこそ、好きすぎて、可愛さ余って憎さ百倍になって、そこから全てに対してわだかまりがとれているわけでもなく。
昔はその物語の、世界の中にいないと楽しめなかった。
その世界の中で生きることが、楽しみ方だった。
私のその世界に生きて、その世界について喜怒哀楽を共にした。
その世界に入り込んで、入り込みすぎて、結末が気になりすぎてセンター試験で失敗したことがある。
マジで。
特撮に限らず、アニメとか、舞台とか。
その世界の中に入り込んで、生きることが楽しみだった。
きっと私には社会人になるまで、満ち溢れていたんだろう。
イマージネイション!!(CV車掌さんこと関根勤)というものが。
物語からはじきだされた私
でも、社会人になってそれがどんどん失われていた。
外側からしか見られなくなった。
しかも覚めてしまった分、冷静に物語の構成とか、時間配分を見るようになってしまった。
「ここで落としてて、どうせ大逆転だろ。」
「あ~あ~、泣かせにきちゃって。」
とか。
舞台を見に行っても、映画を見に行っても、だめで。
もうどの世界にも受け入れられないのだ~という中2病的な絶望感。
まさか22歳を過ぎて、10年間ぐらい悩むとは。
入れなくなると物語全般から興味が失せてしまう。
22歳まで小説全般を読んでいたのに、昔から続いていたものを読むぐらいで、全然読まなくなる。
マンガも冒険ものじゃなくて、日常の生活の延長、しかも料理マンガばかり読むようになる。
物語の外側をようやく受け入れた私
やっと楽しく見られるところまで戻ってきた。
それが、エブリデイ、エブリタイム、スーパーヒーロータイムにつながっている。
愛しすぎず、ある程度の距離感があって。
やっと外側から楽しめるようになってきた。
おもちゃ売ろうとしてるんだな、という大きなストーリーの流れがあっても、
アイテムがバンバン増えていって、「くっ、スポンサーめ」とか歯噛みしなくなった。
もうそういうもんだ、仕方ないとようやく思えるようになった。
いいんだ、ウルトラマンが武器持ってても。
バンバン喋っても、そういう世界のウルトラマンがいる。
私が交わらないだけで。
いいんだ、スーパー戦隊の流れがだんだんよくわからなくなっても。
ついていけてなくてもいいや。
いいんだ、仮面ライダー10年ぶりぐらいにまともに見て、ゲストに盛り上がれなくても。
「誰ですか?」みたいな感じで、頭にハテナが飛びまくっていても。
外側にいてもそれはそれで、楽しめるって知ったから。
あぁ、そういうキャラクターなのか。
これって伏線なのかしら?
そう思っても、辛くならなくなった。
あの頃の世界に生きていられたほうが、存分に楽しかった。
今でも取り戻せるなら取り戻したい。
でも、なくてもないなりに楽しい。
愛せなくてもそれでもいい。
憎まないよりは、愛してないぐらいでちょうどいい。
そういう境地に来たんだなぁ、10年かかった。
そういうわけで、エブリデイ、エブリタイム、スーパーヒーロータイムは、暫く続く。