この4日、とうとうブログが書けなくなった。
感情を用いて、ブログを書くのが私のやり方だ。
論理的に構成するのは苦手だし、何かを売りたいわけでもない。
だから、ここらへんは長い葛藤の上で、自分に期待するのをやめた。
で、先月の終わりから、もう1ヶ月ぐらいたつが、強烈に燃え尽きた感じになった。
2ヶ月ぐらい、なんかえらい調子が良くて突っ走った結果、徐々に先細っていったエネルギー。
とうとうなくなった。
それでも2週間ぐらいはほそぼそとブログを書いていた。
けれど、とうとう「感情を文章に書く意味ってある?」っていうところにきた。
私は誰かに伝えたいことがあってブログを書いているわけではなく、感情を書き残しておきたいだけだ。
そう思ってブログを書いていたのだが、その根本を意味ある?ってなったら、もう書く必要がなくなってしまった。
そう、動く感情がない。
この1ヶ月は感情がどんどん薄れていった感じがする。
負の感情もあまり抱かない代わりに、逆の感情もどんどんなくなってきた。
「THE 淡々」
楽しくもなく、悲しくもない。
怒りもしなければ、嬉しくもない。
みたいな。
じゃあ、今日なんで書いているかというと、感情がないことにもいい面があったということを残しておきたい。
激しく感情が振られないので、特撮を見ることができる。
そういう発見があった。
今はCSで毎週、キュウレンジャーとエグゼイトを見ている。
当時は、「うわ~~ムリムリムリムリ!!」って思ってみられなかった。
キャラクター、ストーリー、ノリ、肌に合わないし、無理だ!ってやめてしまった。
それが今回の感情が動きにくくなったことで、なんの苦もなく見られる。
ムリムリムリムリ!!って思うことがない。
ふ~ん、って感じ。
そうなんだ~って感じ。
それにプラスして、アマゾンプライムで、轟轟戦隊ボウケンジャーを見ている。
こちらも「いや、その展開・・・」とか、「敵が3組織って・・」という当時のムリムリムリムリ!に抵抗がない。
ふ~ん、って感じ。
そうなんだ~って感じ。
これは発見だな~と思った。
こっちの感情が0だと、向こうのテンションがMAXを超えていても、共鳴しないんだ。
みんな、がんばれ、って感じで見られる。
余計に共鳴しないから、完全なる「外側の視点」が苦しくないのだ。
これは副作用だとしても、メリットがある。
「外側の視点」でOK
これから先がずっとこのままでもいいし、また前みたいに戻ってもいいし。
そうなったら、そうなったで、まぁいいや、って。
とりあえず、メリットがあったことを未来の私へ、残しておく。
特撮が好きじゃなくなって、アイデンティティがなくなったと苦しんだ時代もあった。
でもそれを乗り越えても生きている。
だから、ブログが書けなくなったとしても生きていけるだろう。
何事にもメリットは有る。