渋谷のハロウィンの惨状があまりにもひどい。
とチラホラ見かけるようになった。
既視感がある。
なんだっけ。
あぁ、成人式だ。
今もあるとは思うが、私が20歳になる時は全国的に成人式は荒れている、が始まったときだった。
式典嫌いだし、荒れてるなら行っても時間の無駄だ、と思って私はバイトをしていた。
(私を含めた同い年のグループが主戦力だったから、私以外はみんな成人式にいっていた)
みんな、仮装した(正装した)自分が主役だから、好き放題やっていい権利を持ってると勘違いする。
そして、日本人は楽しもうぜ、という時に酒を手放せない。
飲んで潰れようが、潰そうが、罪悪感みたいなものが恐ろしいほどない。
今日は無礼講、っていうのを間違えている気がする。
その意味を間違えているのは決して、20代とかの若者だけじゃなくて、40とか50とかの大人だってそうなんだから、日本人、全員ググってから生きていこうぜ、と呼びかけたくなる。
今日私のいった幕張メッセのイベントでも、アーティストさん主催のHalloweenパーティがあった。たまにドキッとしたメイクの人にすれ違うも、別にだから、何かが起きるわけでもない。
私が不勉強で知らなかったネット系のアーティストさんのイベントもあって、応援するメンバーのカラーやら、何かしらのグッズやら衣装やらの人たちもいた。
でもだからといって、何かが起きるわけでもない。
米津玄師さんのライブもやっていて、パーカーも着込んだクールな若者たちがあふれていたが、だからといって、何かが起きるわけでもない。
そしてゲームセンターCXのイベント。
老若男女そろいすぎて、逆に構成層がわかりにくいのにも関わらず、ある一定のアットホームさは揺るがない。
こんなバラバラなイベントがあるからといって、例えばファン同士争ったりする訳でもない。
たくさんの人が思い思いに集まるという点では、渋谷のハロウィンと変わらないけれど、平和だ。
誘導してくれるスタッフさんのご尽力ももちろんある。
だが、恐らくここにあるのは「主役達と、共に楽しむのが我らの務め。決して迷惑をかけてはならぬ」という共通のルールがあるからだろう。
自分たちが楽しむために好き放題やったツケは、もう二度とイベントが開かれない、アーティストが苦言を呈する、とか、悲しい現実として降り掛かってくるのだから。
今日のイベントを楽しみにしていた自分も主役だが、一緒に楽しむファンも主役だし、アーティストさん、課長、が主役である。
当たり前のことなのに、、なぜか、それが対象者が「自分だけ」に限定されると、この論理が崩壊するのが、日本人らしい。
成人式の主役?
俺、私。
ハロウィンの主役?
楽しんだもん勝ちでしょ=俺、私。
他に誰がいるの?
迷惑かけても、なんも損しねぇし。
みたいな。
そこにお酒が悪いブーストをかける。
ハロウィン、別に仮装して、普段と違う格好で冒険したっていいと思う。
楽しいよねー、私もまだ人生でしたことないけど、やってみたいよ、仮装。
いつもと違う自分って楽しいよねー。
でも。
そのハロウィン、あなた以外も主役だから。
仮装しないで普通に過ごす人も主役だから。
渋谷で働いてる人たちも主役だから。
みんな楽しい一日を過ごしたいのは、一緒だから。
あなたの家の前や仕事場の前がゴミ山だったら。
車を横転させる集団がいたら。
酒でそこら中につぶれて、ゲロ吐きまくるひとがいたら。
明日の朝生きる、あなたはどうですか。
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