小さい頃、ある日突然選ばれてヒーローになれると思っていました。
変身するものはこの手に現れ、私は世界のために戦うのだと信じて疑いませんでした。
少なくともテレビの中に、あの世界はあり、ヒーローが戦う限り私は前を向いて生きることができました。
365日、自分を異質なものだと思っていきていても。
家という檻の中で生きることを諦めていても。
ある日突然学校でいじめられようとも。
名前がカッターで切り刻まれようとも。
心の中の私は、ヒーローたれ!と思って生きていた。
その想いがなくなったのは、、いつだろうか。
社会に出て、1社目での苛烈なクレーム対応を経験したからか。
常軌を逸したとしか思えない恫喝や、言動にさらされ、だんだん心が死んで行った。
1番調子が悪かった時、3.11が起きた。
あったことの無い、生まれたばかりの従兄弟の子供が死んだ。
約束されているはずの未来がいとも簡単に奪い去られ、かたや新宿という大都会で心を病んで働いているクズみたいな私は生きている。
その時思った。
エンターテイメントとしてのヒーロー番組は私を救わない。
いや、ヒーローたれ!と思って生きてきて何がよかったのか。私はヒーローにはなれないし、そして、誰をも救う力を持つヒーローは存在しない。
ヒーローは架空の産物であり、誰のことも救う力などないのだ、と。
私は、あの訃報のメールを見た時に悟ったのだった。
今日、映画のとあるシーンをみて、あぁ、、、知ってるこの感情、と思った。
そして、全然映画の話とは関係ない自分のエピソードが思い出された。
あの時、私はヒーローから、決別してしまったのだ。
戦隊も、ライダーも、ウルトラも、全てに距離をおいていた10年間だった。
(TVシリーズをちゃんと通してみたことがある作品は、この10年でトッキュウジャーだけであり、それも中盤になって追いついたぐらいだった)
そして今、ジオウを見ているのは20年目の総決算だからだ。よく知らないライダー達をみながら、私は毎週追い続けている。
さて、24歳から10年以上ヒーローを捨てた(何年かは憎んですらいた気がする)私の中にも、まだ彼らは存在するだろうか?
願えば現れるだろうか?
呼べば来てくれるだろうか?
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