広告

インフルエンザの療養期間も今日で終わりの、ツレヅリスト、蒼です。
最後の2日間、まさかの「仮面ライダーディケイド」見返すとは、誰も想像してなかったでしょう。

それもこれも、3000文字みかんのキャンペーンに参加したからなのですが。

まさか・・・全話見返すとは思っても見なかった・・。

見返して思うのは本当に「ディケイドの物語はちゃんと完結してほしかったなぁ」ってことなんです。
一応、完結編は映画で作られているし、一度再放送されたときに最終話の終わり方が変わったりしてるんですけど。
でも、なんか、かえすがえす・・そうじゃないんだけどなぁ・・。って思う。

10年も前の話のことで。
ジオウが放映されている今、ディケイドの世界を今更語っても遅いのかもしれないけれど。
ただ、大好きな作品で、納得行く「みたかった世界」が見られなかったことは、寂しいことだなぁと思う。

初回のライダー大戦を回収する必要はあったのか?

やはりどんな番組も初回は大切だと思うのだけれど。
ディケイドの最大の売りは、ライダー大戦だったわけで。
初回のライダー大戦の入り方は、それはそれは見事なものだった。

ヒロインがひとり立っていて、急に爆発が起こり、たくさんのライダーが一点を目指して攻撃していく。
でも全員が倒れ伏して、その中に光るライダーが一人だけ立っている。
それを見て、ヒロインがつぶやく。
「ディケイド。」

最高の始まりじゃないですか。
めっちゃ胸躍ったわ。
今でも見ると、ワクワクする。

で、このライダー大戦をおそらく避けるために旅は始まるわけなのですが・・・。

別に旅をしていくことで、「私達の知らないライダーの世界」を旅して物語は紡がれて、丸く収まる、でも
全然良かったと思うんだよね・・・。

それはある意味「破壊から創造が始まる」というわけで。
「正史(TVシリーズで我々がみていた作品)の世界」という9年間を破壊して、こういう世界も描けたのだという「ディケイドの中のライダーの世界」が存在する、という答えでも良かったと思う。

だから、最終回「ライダー大戦は・・・存在しなかった」という平和的なオチでも良かったのだと思う。

でも、「破壊者」というディケイドの存在になんでだか、固執しすぎた気がする。

結局ディケイドは「正史のライダーの世界」から「同じ正史のライダーのくせに」みたいな裏切り者扱いされる。
(彼に破壊者だと告げるのは、正史側の紅渡であり剣崎一真だから。)

だからテレビ本編のライダー大戦は・・・なんだか矮小化されていてちょっとがっかりする。

この最後のライダー大戦、クウガのユウスケだけが「ディケイドの中のライダーの世界」の住人であるから、成立しないじゃんといわれると、返す言葉がない。

でもとにかく、ディケイドを破壊者と位置づけないとライダー大戦ができない、ということに固執しすぎたと思う。

※再放送版のエンディングを、Youtubuで見たんだけれど、ラストのライダー大戦を途中から見事に初回のライダー大戦の映像に戻していて、ナレーションだけ新しくつけるという手法で終わっている。
「ディケイドの物語の地平の先に、答えは待っている」というセリフをどう捉えるか、だ。
それを制作者の逃げととるか、謝罪ととるか。

「ディケイドに物語はない」という言葉への怒り

映画の完結編で、「ディケイドに物語はありません」というセリフがでてくる。
あのセリフを映画館で聞いて、どれほどの怒りがこみ上げてきたか、今でも忘れられないぐらいだ。

自分の大好きだった作品、追い求めていた作品に対して、制作側が出した答え。
それが「物語はない」という一言で片付けられた気がしたからだ。

ディケイドは「通りすがり」という役割があったように、特定の世界を持たないライダーだ。
だからこそ、ライダー以外の世界にも違和感なく現れることができる。
シンケンジャーの世界に現れても「まぁ、ディケイドだし」という理由で納得できるわけで。
そういう存在を作ったことは素晴らしいと言える。

しかしながら、士、夏海、ユウスケ、海東たちが好きで、その旅する世界が好きだったものに対しては、
あまりに冷酷ではないか「ディケイドに物語はありません」という、あのセリフは。

大人の事情で半年しか放映期間がないことは承知している。
ディケイドは他のライダーの力を使って戦うことも承知している。

それでも我々は彼らとともに半年間旅を続けてきた。
その我々に対して「ディケイドは物語ないから」とは、何事だろうか。

鳴滝というアンチ

ちなみにその存在が全くわからないのが、鳴滝で。
ディケイドの行く先々で、預言者として現れるんだけれど。
彼の存在意義こそ、全く説明されなかったといっていい。

すごく悪い言い方をすると、ディケイドのただのアンチという気がしなくもない。

大ショッカーが世界を征服してしまう!とかいっているくせに、スーパーショッカーの幹部になったりする。

理由はない、ただ「ディケイド」を破壊者に仕立てたいだけのアンチ。
そんなふうに、今になると見えてしまう。

ストーカーで、アンチ。

もしかして一番物語がないのは鳴滝なのかもしれない。

仮面ライダーディケイドの私が「見たかった世界」とは

以前のブログでも書いたけれど、イメージ映像でもあるオープニングの世界見たかったと思う。

夏海を囲むように立っている9人のライダーたち。
夏海の士に回される腕が光る瞬間。
涙をこぼす士に差し出されるカメラ。

オープニング映像が、物語を決めることはないとは知っているけれど。
そんな世界が見たかったなぁと思う。
(そんなことをいうと、仮面ライダークウガのオープニングとか、桜子さんの巫女的な感じも好きだった。)

というより、むしろ夏海の存在の答えを見たかったと思う。
完結編で仮面ライダーキバーラになるのは悪くなかったと思うし、それはそれでよかった。
(むしろ、夏海もライダーになる方向も私は好きだ)

でも、初回のライダー大戦の中にいる夏海をみると、夏海は選ばれた何かであると想像させられる。

9人のライダーに守られるもの。
9人のライダーを率いるもの。
そのどちらでもいいのだけれど、そういう未来はどうだったのだろう。

夏海は物語の途中、士の命をもらっているわけで、もしかするとそのあたりで、もうひとりのディケイドになり得たかもしれない。

そうなると・・・。

「正史の世界」のディケイド、

「ディケイドの中の世界」のディケイド

という二人のディケイドが存在が成り立つ。

ライダー大戦は、ライダーvsライダー。
これこそ本当の自分たちの世界を守るための戦い。

というのはどうだろうか?

また、士のベルトとバックルを与えるのが、夏海だったとしたらどうだろう。
よくある話だが、記憶が無いのは士も夏海も一緒だとしたら。

オープニングの夏海が回す腕が光る=ベルトを渡したのが夏海とかだったら?
士に救いの手(カメラを差し出す手が暗示)が夏海だったら?

そうなると、夏海はどういう存在になるのだ・・・。
セーラームーンみたいになってきて「遠い遠い未来の夏海」とか「銀河が放った希望の光」とかになるのか。
ちょっと先取りして、いっそ・・・「神」になるというのもありだろう。

もっというと「ディケイド」の中が「正史」だけだったら、どうだったかなぁと思う。
ディケイドが旅をする世界が「正史」だったのは「シンケンジャー」だけなのだ。
(電王は?っていわれると、あれは良太郎というよりイマジン側の世界と私は捉えている。)

そうなると、私の好きなユウスケがいなくなるということだから、辛い。

時々五代雄介か、小野寺ユウスケか、というはなしがでる。
(例えばジオウでクウガウォッチには、どちらのクウガが力を与えるのか?みたいなね)
どちらも好きな人間にとって、これほどつらいものはない。

五代には五代の、魅力があるし。
ユウスケには、ユウスケの魅力がある。
それでいいじゃないか、と思う。

ディケイドの世界で見たかったもの、私が描くものはそんな感じ。

2日間かけて、ディケイドの世界を旅した。
きっとまたいつか、ディケイドの世界を旅する時が来る。
その時もきっと同じように、違う終わりが見たかった、物語はあったはずだ、と思うだろう。

その日のために、ここに記事を残しておく。

 

このブログが気に入ったらいいね ! をお願いします。
更新情報をお知らせします。

Twitter で

広告