パラリンピック競泳、木村敬一選手のインタビューでドキリとした。
そのことを本人が言うまで私は、そのことに気づいていなかった

デイリーハイライトでのインタビュー。
(記憶で書いているのでせいかくなないようではないです)

質問者が
「レース直後だけでなく、表彰台でも涙がありまきたよね」
とふったときの返答。
「僕はメダルの色は分からないけれど、国歌は1位になった人に流れるものだから」

はっとした。
このパラリンピック期間中、木村選手は
「金メダルをとるためにやってきた」
という話をされていて、それを当たり前に受け止めていたのだけれど、ようやく獲得した金メダルの色を、木村選手はみえないのだ、ということがスポンと頭から抜けていた。
もしかしたら2歳から全盲という事だから、「金」という色も見たことがないのかもしれない。

「優勝だよ、金メダルだよ!」
と言われてほんとにそれは嬉しかったと思う。
でも木村選手が本当に金メダルを実感したのは、首からメダルをさげたときではなく、君が代だったのだ。

そういうことが頭のどこにも浮かばないので、いわれて驚くことが、パラリンピックには多くあった。

これも木村選手のことだけれど。
富田宇宙選手が
「全盲で作り上げた泳ぎで世界と戦っているのは木村くんしかいない」
と言っていた時もそうだった。

つい私は「目が見えない人」というクラス分けだけでみているから、それが「いつから見えない」とか「どれぐらい見えない」とかなのか、目の前の情報としては見ていたけれど、深く考えていなかった。

富田選手が視覚に障害が現れたのは16歳から。
水泳は3歳からやっていた、というから各泳法を見て、体感して、覚えた、という感じなのではないか。

でも木村選手は誰の泳ぎも見た事がないはずだ。
一から体に覚え込ませていったに違いない。

情報から背景を、いかに自分が想像できないか。
何度もパラリンピックの解説を聞く度に思った。

車いすの人、
その人たちに背筋や腹筋が使えるか否か、という違いがあると考えたことがあったかい?

目の見えない人、
光が見える人、ぼんやりはみえるひと、まったく見えない人、その違いがあることを考えたことがあったかい?

身体の不自由な人、
脳性麻痺の方なのか、腕や脚がない方なのか、そんな違いを考えたことあったかい?

障害は生まれつきなのか、病気なのか、事故なのか。考えたことはあったかい?

街で白杖を持っている方や、車いすの方に出会った時、「目の見えない人だ」「体の不自由な人だ」という大変雑な括りで情報処理してただけなんじゃないかい?

そんなことを、何度も突きつけられた。

そして、パラリンピックは聴覚障害の選手はいないことに気づいていたかい?
(デフリンピック、という別の大会があるそうだ)

今の今まで思いつきもしなかったこと。

パラリンピックのスポーツとしての魅力はすさまじく、のめり込んで応援していた日々だったけれど(明日もあるけど)、そしてそれはそれでいいことだとも思っているけれど?

楽しかったね、よかったね、
で終わらせるには、もったいなく。
人生の中に刻み込みたい瞬間だった。

ところで、木村選手の金メダルは、彼の中ではどんな色なのだろうか?
色、よりも、なにかもっとちがう感覚でとらえているのだろうか。

そのことも知ってみたい、叶うならば、と思う。

via PressSync

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この記事を書いた人

蒼(あおい)

【本以外への興味が多すぎる書店員】
●2018年5月31日、自分を大切にしない働き方をやめました。
●現在は書店員(料理・手芸など以外の実用・芸術担当)
●ご機嫌に毎日を過ごす方法にチャレンジしてます。

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