すごくいいねが、たくさん押された時。
この記事よかったとコメントをもらった時。
「さすが蒼さん!」と感心してもらった時。
「よくがんばってるよ!」と言われた時。
私、褒められている。
そう思ってもいいだろう。
えっへん、そうやろ?と胸を張ってもいいし
「ありがとうございます、うれしいです!」と笑顔になるのもいいだろう。
そんなこと・・・したことがない。
褒められる=同情、そう思うのが私。
で、肝心の私が褒められた場合の反応。
「ほんとにそう思ってるのかしら、この人。」
という疑いの気持ち。
「いやいや、こんなもんね、もっとうまい人いるからね。」
という自分全然ですよ、という気持ち。
「褒めてはくれてるけど・・他にいいとこなかったからここなのか?」
だんだん落ち込んできて表情が曇り、無表情になる。
このころに至っては、褒めてくれる人が困惑する状態。
褒められているのに、褒められた後のほうが深く落ち込むなんて、日常茶飯事。
「褒める」と「褒められる」に引き裂かされている私
その考えが浮かんだのはヨガの帰りだった。
夜道を自転車で走りながら、なんで褒められるとうれしくないのかなぁ・・とぼんやり思った。
自分なんて、大した人間ではない。
私なんかよりできる人はたくさんいるわ。
いつもの自分はだめだから、的な考えが脳内をよぎっていった。
でも全く無意識に言葉が口からこぼれた。
「少なくとも私は、思ってもないことで褒めたりしないよなぁ。」
おや?
何かが頭の中で引っかかった。
「私は褒められると相手が、私に同情してるからだと思っている。」
でも
「私は相手を褒める時、心からすごいなぁと思って褒めている。」
なんだろう・・・このギャップは。
なんでこんなに「褒める」に自分は引き裂かれているんだろう。
「褒める」
こんなにもプラスの言葉なのに
「褒められる」
能動態に変わった瞬間、私にとって一気にマイナスに変わる。
引き裂かされる、私。