こんばんは。真夜中のブロガー、蒼です。
今日は池袋に「ウルトラマンフェスティバル」(以下ウルフェス)にいってきました。
サンシャインシティの文化会館4階で、毎年行われているウルトラマンの大きなイベントです。
目玉はライブステージ。
ヒーローショーでしょ?といわれれば、そうなんですけれど、今年はいろんな意味で進化がすごかった。
映像技術とアクションのシンクロは年々進化している。
それよりも、「え、これは私に向けているの?」というメッセージが深かった。
久しぶりに「こういうウルトラマンがみたかったんだって!!」って思って圧倒された
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今日のライブステージはすごかった。ストーリーを何度も思い返してしまう
ウルトラマンフェスティバルは期間が第1期と第2期に分かれている。
期間限定商品が入れ替わり、ライブステージの内容も変わる。
ちょうど今日が第1期の最終日。
ライブステージの内容もチェックしないでいった。
タイトルは「第1部 運命を切り開け 〜光と闇の戦い〜 」だった。
ウルトラマンといえば、光と闇のテーマが切り離せない。
特にウルトラマンティガが好きでのめりこんだ私としては、「ウルトラマン=光」、「人の心が生み出す闇」みたいなテーマだろうと思って、ワクワクした。
ライブステージの主人公は、今テレビ放映されているウルトラマンジードだろうけれど、光と闇がテーマなら楽しいはずだ。
でも、今回のステージの物語は誰が考えたんだろうか。
私がかつて心に刻んだ「ウルトラマン=光」のような当たり前の公式みたいな、話ではなかった。
このステージの話で、1本映画を撮ってもいいぐらいすばらしかった。
ステージの始まりのブザーが終わると、黒衣の男性がステージに現れる。
男はようこそ、ライブステージへとみんなを迎える口上をいうが、そのあと会場の子供に問いかける。
「あなたは怒られたことはありますか?」
と。
それから、男の話はたたみかけるようにどんどん大きくなっていく。
誰かが夢をあきらめた
誰かが世界などなくなってしまえばいいと思った
男のセリフとともに、ステージに投影された地球が闇に飲み込まれ、そして偽の闇のウルトラマンたちがステージに現れる。
これはぐさりと来た。
会場の子供たちよりも、その場にいた大人に語り掛けているようだった。
あなたが夢をあきらめた
あなたが世界などなくってしまえばいいと思った
だから、今、地球は滅びようとしているんですよ。
闇の襲来をうけて。
その後、すぐにウルトラマンジード、ウルトラマンゼロ、ウルトラセブンなどがかけつけて闇を一蹴してくれる。
照明や映像とシンクロした、かっこいいアクション、私の座っていた席の前は運のいいことにウルトラヒーローがアクションもする場所だったので、汗が飛んでくるほどの近さだった。
しかし、私の心は冒頭のシーンにとらわれていた。
なんだこれは。
あの黒衣の男のキャラクターを冒頭に入れて、このストーリーはどこへ行くのだ。
下手をしたら、ウルトラマンの敵は人間になってしまうのではないのか。
これを、30分ぐらいのステージでどうやってまとめるんだ。
しかも今回の主人公、ウルトラマンジードは、闇に落ちたウルトラマンべリアルの息子という設定である。
(・・・ダースベイダーの息子、ルーク・スカイウォーカーが、ジードだと思ってもらえばわかりやすいだろうか。)
闇の遺伝子を持ちながら、正義を成し遂げようとするジードをこの話でどうしようというのだ。
こういう話はTVシリーズでやったほうがいいんじゃないのか?
中盤、ジードは闇の象徴ダークキラーによって闇の中に閉じ込められてしまう。
「お前は、自分の中の悪が怖いんだろう?」
「自分が持つことのできないセブンとゼロのような親子がうらやましいんだろう?」とささやかれることによって。
そしてステージのお決まりの応援タイムになる。
「ジードを信じてる、みんな、ジードを応援して!!」
というお姉さんの声に、子供たちが口々にがんばれ!!と応援をはじめる。
今回は座席に一人1個、ライトが用意されて、みんなが手に持つように指示されていた。
応援とシンクロして光りだすというシステムが採用されていて、子供の声とともにライトがぱっとついたとき会場がどよめいた。
青や緑や、白にさまざまにライトが光だし、ジードに届くというまさにその時再び黒衣の男が現れる。
「本当にあなたたちは信じているのか?彼はべリアルの息子なんだよ?」
「人間は本当はジードのことなんて信用していないんじゃないのか?」
その言葉にのるように、手元のランプが一斉に真っ赤になる。
「ほら、それが君たちの本心だよ。」
会場中が真っ赤になる。
あぁ、私たちはウルトラマンを、ジードを信じられないかもしれない。
彼はあのべリアルの息子なのだから。
お姉さんがその声を断ち切るように子供たちに、応援の呼びかけをする。
子供たちの
「がんばれ!!!!」
という心からの叫びで、ジードは復活する。
ここから怒涛のアクションが続いていき、
ダークキラーや、べリアルを退けてウルトラマンたちは勝利する。
最後にジードはこういう。
「光とか闇とか関係なくて、大切な人を守りたいと思う。そしてそんな大切な人たちを家族と呼ぶのだと思う。」
かつて子供だった自分を、失ったことを痛感せざるをえない
今回のステージの衝撃から、まだ立ち直れないでいる。
子供たちに向けて信じる心、勇気や希望を体験させるのは、毎年のことだ。
でも今年は、実は大人に向けたメッセージが重いんじゃないかと思った。
あなたたちが夢をあきらめて、世界を否定したんだから滅びるんだ。
自分の心の中の「暗い部分」が本当は怖いんだろ?
人を生まれや、見かけで判断して差別してるんだろ?
黒衣の男は、大人に向けて語り掛けるキャラクターだった。
(最後の最後に正体が明かされると、なお納得する。正体は明かさないでおく。来年DVD化されたら見てほしい)
大人であの問いかけをされて「いや、違う!!」と断言できる人は少ないと思う。
私は少なくとも断言できない。
でも、私の周りの子供たちは違った。
男の「あのべリアルの息子なんだ。信用していない証拠がそのライトの色だ。」と言われたとき
「ちがうよ、あいつが嘘つきなんだ!」
「ちがうもん!!ジード!!」
とお姉さんが応援の呼びかけをする前に、もう応援をはじめていた。
幼稚園とか、小学校低学年の子たちの「ウルトラマンを純粋に信じる」という心と姿に、自分を対比せずにはいられなかった。
いや、そうせざるをえないようなストーリー展開になっていたとしか思えない。
なんなんだ、このライブステージは。
ウルトラマンティガにあったときは、12歳だった。
今日声援を送った子供たちよりも大きかったし、少しひねた目で世界をもう見ていたと思う。
でも私は、純粋にウルトラマンを信じていた。
「ウルトラマンは世界を救ってくれる。」
無条件で、絶対的な信頼感。
そして夢をあきらめてもなかったし、世界がなくなれとも思っていなかった。
そういう自分を20年かけて失っていることを痛感せざるを得なかった。
だって、黒衣の男の話にうなずけるんだもの。
そうそう、夢はとっくにあきらめてしまった。
世界なんてなくなれと願ったこともある。
ジードもいつかは闇落ちすれば、話的におもしろいでしょ、たぶん。
そういう心の闇の部分に、なんでウルフェスいって向き合うことになるんだろう。
でも、これが私がみたかったウルトラマンだった
私が数ある特撮シリーズの中で、ウルトラシリーズが好きなのは「自分と向き合わざるをえない話」がたくさんあるからだ。
例えば、「ウルトラマンティガ」には
「親から過剰な期待を受けてエリート街道をつっぱしってきたのに特捜チームには選ばれず、宇宙細胞に手を出す男」がでてくる。
なぜ俺じゃないんだ、と
こんなに努力してきたのに、と
ねたみや恨みの中で、細胞に手を出してしまう。
一時的に超人的な力を得るも彼は怪獣化し、倒される。
12歳だった私は、その男の気持ちが痛いほどわかった。
そして33歳になった私は、もっともっと、むしろ嫌というほどその男の気持ちがわかる。
なぜ俺じゃないんだ、と苦悩するときはたくさんある。
自分じゃどうにもならないときがある。
どれほど努力しても手に入らないものもある。
怪獣になる細胞は現実にはないけれど、違った形で私たちを怪獣に変えるものはたくさんある。
そういう心にぐさりときて、自分と向き合わざるを得ない話があるのが、私の好きな「ウルトラシリーズ」だ。
最近のウルトラシリーズは、東映化が進んでいる気がした。
変身するためにアイテム使いまくるとか、ライダーとか戦隊並みに、何パターンも組み合わせの変身があるとか。
地球とか宇宙じゃなくて、町内守るとか。
きっと私がそういう見た目にそっぽを向いている間も、「自分と向き合わざるをえない話」はあったのだろうなぁ。
やめたころから、もう一度見返してみようか・・・。
今日のライブステージには、それほど圧倒されてしまった。
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